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●寛永2年(1625)
●寛永4年(1627)
●寛永5年(1628)
●寛永6年(1629)
●寛永8年(1631)
●寛永10年(1633)
●寛永11年(1634)
●寛永12年(1635)
●寛永14年(1637)
●寛永15年(1638)
川越東照宮・喜多院焼失する。川越喜多院の客殿・書院・庫裏を江戸城紅葉山より移築する。
●寛永16年(1639)
●寛永17年(1640)
●寛永18年(1641)
●寛永元年(1624)
阿部正次、小田原より岩槻に入封する。
橘樹(たちばな)郡大師川原村名主・池上幸広、稲荷新田開発に着手。
川越城下、城とともに三分の一焼失。代官大河内金兵衛により金兵衛堀が開削される。
1月21日−関東大地震が起こる。
8月−東海道・関東に大洪水がおこる。
11月23日−関東・中部―富士山が噴火し,江戸にも降灰がある。
酒井忠勝、深谷より川越に入封する。
伊奈忠治、大宮宿を氷川参道の西側に移す。
伊奈忠治、大里郡久下村で荒川の分流口を締め切る。足立郡附嶋(つきしま)村地先八丁堤を築き、見沼溜井を
造成する。
9月21日−幕府が関所に対し、通行手形のない者の通行禁止を通達する。
1月20日−関東大地震がおこる。小田原宿が全壊し,箱根山の巨石が崩れる。
松平信綱、忍へ入封する。
3月23日−幕府が品川塔・王子権現の造営を命じる。29日には芝神明社・目黒不動堂・飯倉八幡宮の造営
を命じる。
10月−将軍家光が板橋で鹿狩を行い,捕獲した鹿500頭を大名・町人に分与する。
堀田正盛、川越へ入封する。
岩槻藩主・阿部正次、川越東照宮へ伝狩野探幽筆の鷹絵額を奉納。
忍藩主・松平信綱、肥前国島原へ出陣する。
8月11日−幕府が関東山野巡察使の派遣を決定する。
9月20日−関東地方の山境論争に関する訴訟法度を定める。
忍藩・松平信綱、川越へ転封となり、忍へは阿部忠秋が入封する。
1月−関東郡代伊奈忠治が江戸川開通のために下総関宿武蔵金彩間の水路開削を開始する。
6月17日−焼失した川越の東照官が完成。画家岩佐又兵衛の「三十六歌仙絵額」が奉納される。
橘樹郡小杉御殿を新築する。
関宿から武蔵国金杉村間に新川(江戸川)が開削される。