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●明和元年(1764)
●明和2年(1765)
●明和3年(1766)
●明和4年(1767)
●明和6年(1769)
●安永元年(1772)
●安永3年(1774)
●安永4年(1775)
●安永5年(1776)
●安永8年(1779)
中山道沿いの村々で、増助郷(ましすけごう)に反対して農民たちが蜂起。
入間・比企・高麗(こま)・足立・埼玉郡などで打ちこわしが起こる(伝馬騒動)。
2月−平賀源内が猪俣村で,石綿を使った燃えない布を製造して火浣布(かかんぷ)と名づける。
翌65年8月には「火浣布略説」を刊行する。
8月7日−幕府が,品川・板橋・千住の3宿に限り食売女の人数増加を認める。
平賀源内、秩父郡中津川村で金銀鉱石を発見する。
伝馬騒動の首謀者・児玉郡関村の兵内(ひょうない)、獄門に処せられ、
武蔵国・上野国・信濃国・下野国で農民360人あまりが処罰される。
3月21日−幕府が、大坂送り分を除いた関東産綿実の集荷問屋を,
江戸小網町と神奈川宿の2か所に定める。
3月−幕府が、関八州と甲斐へ,博徒など不良の者の逮捕を命じる。
鴻巣宿で大火、343軒焼失。
川越藩主秋元涼朝(すけとも)、出羽の山形へ転封。
松平朝矩(とものり)、上野の厩橋より川越に入封。
6月−浪人風の者が関東や伊豆・甲斐の村々で銭をねだり、また止宿す
るため,幕府が逮捕と公事方勘定奉行への報告を命じる触れをだす。
4月9日−内藤新宿が甲州道の宿駅として再興される。
9月9日−幕府役人が秩父中津川の鉄山開発調査を行う。
2月27日−武蔵大師河原村の池上幸豊が下総・常陸・下野へ砂糖の製造法の伝授を始める。
10月28日−幕府が,関八州・伊豆・甲斐の村々へ、村内を徘徊
する浪人風の者など,施し・止宿を強要する者の逮捕を命じる。
3月−川口の氷頼家が,京都の真継家から鋳物師職免許をうける。
8月30日−幕府が石灰会所を増設して計2か所とし,八王子石灰・下野石灰・
蠣殻(かきがら)灰を専売させる。
平賀源内が秩父の木炭製造を始める。
10月−利根川上流の14河岸が仲間を結成する。
塙保己一、『群書類従』の編纂を始める。