武蔵国年代リンク
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天保(1830~1843)
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嘉永(1848~1853)
安政(1854~1859)
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文久(1861~1863)
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慶応(1865~1867)
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武蔵国(安政年間)

●安政元年(1854)
3月3日-幕府、久良岐郡横浜村に応接所を設置し、1カ月に及ぶ交渉の末、日米和親条約調印。
3月21日-ペリー率いる米艦隊、下田沖に退去。
川越藩、高輪に陣屋を完成。
川越藩、台場警備のため領内村高百石につき10両を課し、富農層より2万両の献金を徴集。
幕府、父の仇討ちを果たした元川越藩士・須藤隼太郎同弟3人を無罪とした。川越藩は隼太郎を賞し帰藩を許す。

●安政2年(1855)
10月2日-夜四ツ過(午後10時頃)、江戸を中心に大地震発生。
上尾・桶川宿付近の紅花商人が江戸問屋と争い示談内済。
渋沢宗助、「養蚕手引抄」を刊行。

●安政5年(1858)
秩父郡大野原村名主萩原左伝次ら、大宮用水の開削に着手、翌年完成。
荒川堤防をめぐる百間出し一件が起こる。

●安政6年(1859)
中居屋重兵衛、原善三郎ら横浜にて生糸貿易を開始。
幕府、運上所を設置。外国人の遊歩区域を定める。
6月 2日-神奈川・長崎・函館において自由貿易開始。
7月20日-露国使節ヒラビョフが品川に来航、仕官・水夫が横浜で攘夷派に襲われ2名死亡。
7月-利根川・荒川氾濫、破堤。
井上淑蔭(よしかげ)、川島堤の桜花を詠じた「桜花帖」を刊行。
9月23日-アメリカ長老教会宣教医ヘボン夫妻,ブラウンら横浜に来日。
12月10日-幕府、米価高騰のため、関八州に酒造高半減を命じる。