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●文久元年(1861)
春−米人医師ヘボンが横浜宗興寺に施療所を開設。
皇女・和宮の下向で中山道沿いの宿村に人馬が大量動員される。
足立郡塚越村の高橋新五郎、英国製綿糸を購入し双子縞を製造。
秩父郡大宮郷に生糸改(あらため)会所が設立され、周辺に反対運動が起こる。
幕府、江戸および関八州の宿屋・料理屋などに私娼を置くことを禁止した。
荏原郡白金村の堀越藤吉が芝露月町にはじめて公然と牛肉の看板を掲げて開店した。
12月4日−小笠原開拓のため、外国奉行水野忠徳らが咸臨丸で品川を出発。
12月22日-竹内保徳、福沢諭吉、箕作秋坪(みつくりゆうへい)、寺島宗則ら遺欧使節、品川を出帆。
●文久2年(1862)
春−下岡蓮杖、玉泉寺勤務の特別手当約100両を資本に横浜・野毛に写真業開業。
8月15日−英国公使館通訳アーネスト・サトウ、横浜着。
8月21日−イギリス商人リチャードソンら、生麦村で薩摩・島津久光の行列を遮り、家臣の奈良原喜左衛門らに殺傷される。(生麦事件)
10月−ジョセフ・ヒコ、ハワイ、香港を経由して米国より帰着、領事館の通詞を始める。
12月12日-長州藩士高杉晋作ら御殿山イギリス公使館焼き討ち。
伊勢の大谷嘉兵衛が横浜で製茶貿易店を開く。
横浜・岩亀楼の遊女・喜遊、米人の妾を拒否、辞世一首を残し自害
●文久3年(1863)
1月15日−高杉晋作、伊藤博文ら長州藩士が吉田松陰の遺骸を小塚原から掘り出し、荏原郡若林(現世田谷区)
に改葬する。
5月12日−伊藤博文・井上馨ら長州藩士5人がイギリス留学のため横浜から密出国する。
7月9日−薩摩を砲撃したイギリス艦隊が23日にかけて横浜へ帰還。
12月27日-横浜駐在英領事ウィンチェスター、生糸輸送の停止につき神奈川奉行に抗議。
●元治元年(1864)
3月−横浜で外国の曲馬団が興行する。
川越藩、江戸湾の第二・第五台場の警備を命ぜられる。
幕府、忍・岡部藩に水戸天狗党の討伐を命じる。
6月−長州藩士・伊藤俊輔、井上聞多、英国より横浜に帰着、英国公使オールコックを訪れる。
6月28日−ジョセフ・ヒコ、横浜居留地で「海外新聞」を発行。
10月10日−長州藩・伊原主計、伊藤俊輔らがオールコック英国公使、プリュイン米国公使を訪問、協定の確認を行う。
11月13日−水戸天狗党、本庄宿に宿泊。
この年、ヘボン夫人がキリスト教による女塾を横浜に開く。