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●天明元年(1781)
●天明3年(1783)
●天明4年(1784)
●天明5年(1785)
●天明6年(1786)
●天明7年(1787)
●天明8年(1788)
●寛政元年(1788)
●寛政3年(1791)
●寛政4年(1792)
●寛政5年(1793)
●寛政6年(1794)
●寛政11年(1799)
●寛政12年(1800)
●享和2年(1802)
2月−児玉の中林・倉林家が,京都の真継家から鋳物師職の免許を受ける。
6月30日−幕府が,上野国緑野(もとの)郡の3人の出願により、反物と絹・真綿(まわた)貫目の
改会所を上野・武蔵両国の10か所に設置することと、その手数料の徴収を,7月20日から3年間の期限で許可する。
11月9日−幕府は,浅間山噴火により迂回の交通量が増加したため,甲州道中へ7年間
人馬駄賃2割増しを許可し,12月には中山道のうち7宿へ2割増し,11宿へ3割増しを許可する。
高麗郡の一橋領で一揆。
秩父郡で打ちこわし。
幡羅(はら)郡下奈良村・吉田市右衛門が貧民を救う。
1月27日−幕府が,浅間山噴火被害による武蔵・上野・信濃の
河川浚渫の助役を熊本藩に命じる。
閏1月16日−幕府が米価高騰のため,関東・東北・信濃の農民へ余剰米の販売を命じる。
2月10日−幕府が、江戸に関八州産の菜種の買受問屋2軒,村々に買次ぎ200人を指定し、
大坂回しと自給分以外の販売を命じる。
2月28日−多摩郡の幕府領ほか37か村の農民が,米価高騰に便乗して雑穀を
買い占めた穀屋を打ちこわす(武州村山騒動)。
5月23日−幕府が、日光道・奥州道の宿駅困窮のため,7年間人馬駄賃2割増しを許可する。
10月7日−幕府が、関八州および伊豆・駿河の諸河川の稼ぎ船から農業船までに
極印登録をして課税を試みるが、強硬な反対運動にあい中止する。
7月14日−数日来の大雨で関東各地に洪水がおこる。利根川・荒川氾濫、権現堂川、入間郡下南畑
(しもなんばた)村で破堤、上瓦葺(かみかわらぶき)村の掛樋流失。
岩槻町・久喜(くき)本町などで打ちこわしが起こる。
上尾宿で、僧雲室(うんしつ)が聚正(しゅうせい)義塾を開設する。
川越藩、凶作に備え各村に囲米(かこいまい)を命ずる。
下奈良村の吉田市右衛門、利根川堤修築助成金として500両を幕府に上納。
関東郡代伊奈忠尊(ただたか)改易される。
7月20日−幕府が,荒川沿いの徳丸原に砲術練習場を新設する。
3月〜4月−老中松平定信が関東沿岸を巡視する。
3月−川口善光寺の阿弥陀如来像の開帳が行われるが,参詣人を運ぷ荒川の
渡し船が転覆して被害者をだす。
岩槻藩・児玉南柯(なんか)が私塾遷喬館(せんきょうかん=文政3年、藩校に昇格)を開く。
3月−原半左衛門・新助兄弟に率いられた八王子千人同心子弟100人が、蝦夷地への屯田に出発する。
足立郡大間村の福島東雄(あずまお)、このころ「武蔵志」を著わす。