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●慶長2年(1597)
●慶長5年(1600)
●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長9年(1604)
●慶長11年(1606)
●慶長12年(1607)
●慶長14年(1609)
●慶長17年(1612)
●慶長19年(1614)
本多忠勝、大多喜領内(現・夷隅郡大多喜町)総検地に着手。
7月−佐貫藩(現・富津市佐貫)内藤家長、山城国伏見城で戦死。8月、嫡男政長が遺領を継ぐ。
石川康通、美濃国大垣藩へ転封となり、鳴渡(なると=現・山武郡成東町成東)藩は廃藩となる。
1月−本多忠勝、大多喜から桑名へ転封。忠勝の旧領10万石のうち5万石は忠勝二男・忠朝に与えられる。
2月−茂原藩大久保忠在(ただすけ)、駿河国沼津藩に転封、茂原藩(現・茂原市茂原)は廃藩となる。
久留里(現・君津市久留里)城主大須賀忠正、遠江国横須賀へ転封。
7月−久留里藩に土屋忠直が2万石で入封。
房総地方に大地震発生。安房・上総に津波がおしよせる。
大久保忠在により、一宮、茂原、本納、大網、長南の5か村の組市場が幕府公認で開設される。
結城(越前松平)秀康の二男忠昌が1万石で市原郡姉崎村に入封。姉崎藩(親藩)成立。
前フィリピン総督のドン・ロドリゴ・デ・ビベロほか300余人が難破により夷隅郡岩和田村(現・御宿町)に漂着する。
大多喜藩主・本多忠朝の保護により40日近く滞在の後、家康により駿府に招かれる。
幕府、東北諸大名に銚子築港の普請を命じる。
4月−久留里藩土屋忠直、没。嫡男利直(5歳)が襲封。
1月−御成街道(船橋−東金間)完成に伴い家康、東金に滞在し、鷹狩を行なう。
9月−佐貫藩内藤政長、安房館山藩里見忠義の転封に伴い、館山城取壊しの総指揮を命じられる。
11月−大阪冬の陣での戦功により、木更津の水主(かこ)24名(内12名は遺族)に内湾舟運の諸特権を与えられ、
木更津船と木更津河岸(江戸の専用河岸)の特権は幕末まで維持される。