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●延享4年(1747)
●寛延2年(1749)
●寛延3年(1750)
●宝暦元年(1751)
●宝暦4年(1754)
●宝暦6年(1756)
●宝暦7年(1757)
●宝暦11年(1761)
●延享2年(1745)
伊能忠敬、山辺郡小関村(現山武郡九十九里町)に、名主・小関貞恒の二男として生
まれる。幼名は三次郎。
幕府が下総・上総・安房3国の干鰯の1割をを相模浦賀に水揚げするよう命じる。
1月−大多喜藩主阿部正貞、没。3月、養子正温(まさはる)が襲封。
夷隅郡深堀村・小池村(現・大原町)浜村(御宿町)などで発生した年貢増徴に反対する門訴事件で、代表の深堀村・杢兵衛が斬罪となる。
10月−勝浦藩植村恒朝、除封。12月、大岡忠光、1万石で入封。
12月−阿部正興、佐貫藩を襲封。
海上郡足川村名主、重兵衛が九十九里浜地元網を代表し関西からの旅網(出稼漁師)との漁業権争いに決着をつける。
勝浦藩大岡忠光、加増され武蔵国岩槻藩に転封、勝浦藩は廃藩となる。
11月6日−幕府が,陪臣・浪人の子が旗本の養子となることを制限する。
冬−夷隅郡の中村国香が「房総志料」を著す。