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●万治2年(1659)
●寛文元年(1661)
●寛文2年(1662)
●寛文4年(1664)
●寛文5年(1665)
●寛文8年(1668)
●寛文9年(1669)
●寛文10年(1670)
●寛文11年(1671)
4月−大多喜新田藩阿部正春、宗家・武蔵国岩槻藩を相続、岩槻藩入封をもって大多喜新田藩は廃藩となる。
3月−幕府が関八州・甲斐の9国に盗賊取締令を出す。
11月−飯野藩(現・富津市)保科正貞、没(73歳)。12月、正景が襲封。
9月−松平(能見)重治、佐貫藩を襲封。
9月−幕府が猟師以外の鉄砲所持禁止を再令する。
8月22日−幕府が関八州に巡見使を派遣する。
江戸の紙問屋・広島屋治右衛門が千町野(ちまちの=現茂原市)に3年の歳月と費用をかけた湿地開田化が失敗し、
木崎村・東泉寺境内で自殺。
8月−苅谷藩堀直景が家督を嫡男直良に譲る。陣屋が市原郡八幡村に移され、八幡藩成立、苅谷藩は廃藩となる。
10月26日−幕府が紺屋の藍瓶税を銭納とする。
幕府が幕府領の総検地を行う。
4月3日−幕府が日蓮宗不受不施派の寺請を禁じる。
1月12日−幕府が関八州の代官に代官所の経費節減・本田畑での煙草栽培の禁止・有閑地への家屋新築禁止を
巡察使をもって伝える。
5月−大多喜藩阿部正令(まさよし=正能)、忍藩に転封。岩槻藩を甥正邦に譲った阿部正春が入封。翌年、大多喜城の再築を命じられる。