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●慶応2年(1866)
●慶応3年(1867)
●慶応4年(1868・明治元年)
4月−久留里藩黒田直和、養嗣子の直養(直方の孫)に家督を譲る。
第2次長州征伐に際し旗本阿部式部が知行地(5000石)・夷隅郡で農兵を徴集。
周准(すず)郡人見村(現・君津市)の海苔仲間無株村民が海苔株所有者の海面独占に異議を申立て訴訟を起こし主張が通る。
6月−請西藩主・伏見奉行林忠交、没。8月、忠崇(ただたか)が襲封。
7月−一宮藩加納久恒、没(21歳)。10月、養嗣子の久宜が相続する。
2月−旗本阿部式部(夷隅郡5000石)、新政府に恭順。総房三州鎮静方として農兵を通じ治安維持活動を行う。
3月−久留里藩、新政府に恭順。
3月−飯野藩、新政府に恭順。
3月−一宮藩、駿府に滞陣の官軍に献納。
4月3日−木更津の請西藩主・林忠崇は最後まで官軍に抵抗するべく、藩主自ら脱藩、藩兵75名、旧幕府遊撃隊
36名を引きつれ出陣。真武根(まぶね)陣屋は残った藩士の手で焼かれる。
4月28日−佐貫藩で新政府恭順を唱えた家老相場助右衛門が下城中狙撃され、藩論は佐幕と決する。
4月−鶴牧藩、東海道鎮撫総督府から旧幕府軍脱走兵の鎮撫を命じられる。
閏4月−佐貫藩、官軍への城明渡しに応じる。
6月1日−箱根での戦いに敗れた請西藩主林軍はいったん館山に帰還、再度、旧幕府軍艦長崎丸で奥羽に向かう。