弘化・嘉永年間リンク | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●弘化元年(1844)
●弘化3年(1846)
●弘化4年(1847)
●嘉永元年(1848)
●嘉永3年(1850)
●嘉永4年(1851)
●嘉永6年(1853)
一宮藩、5基の台場を築造。
アメリカ軍艦浦賀入港に伴い、久留里藩兵200名、富津、竹岡に出兵。
幕府、沿岸警備のため会津藩に命じ、富津、竹岡に会津藩兵200人余を駐在させる。
3月−飯野藩保科正丕、没。7月、次男正益が襲封。
1月6日、蘭学、本草学を基礎として多岐に渡る百科全書的著述を残した佐藤信淵、山辺郡大豆谷村(現・山武郡東金町大豆谷)にて没。
11月−貝淵藩林忠旭(ただあきら)が請西(じょうざい)に新たに真武根(まぶね)陣屋を築き、請西藩となった。貝淵藩は廃藩。
会津藩主・松平容敬(かたたか)、沿岸防備で駐留している会津藩士を激励するため富津に訪れる。
関東取締出役が農村復興運動を組織する大原幽学を弾圧するため、香取郡長部村(現干潟町)の教導所「改心楼」を襲わせる。
ペリーが浦賀に来航。房総諸藩は異国船の江戸湾侵入を発見して幕府に通報する。
備前国岡山藩、竹岡陣屋を備場(そなえば)として海岸防備にあたる。