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●天保元年(1830)
●天保3年(1832)
●天保4年(1833)
●天保6年(1835)
●天保7年(1836)
●天保8年(1837)
●天保11年(1840)
●天保12年(1841)
●天保13年(1842)
●天保14年(1843)
〔武射(むさ)郡北清水村出身の儒者・海保漁村が、江戸で私塾を開き、子弟を教育する。〕
大原幽学が上総・下総を遊歴する。
5月−五井藩有馬氏貞、没(24歳)。9月、氏郁(うじしげ)が襲封。
大原幽学が香取郡長部村(現干潟町)の名主遠藤伊兵衛宅に寄寓し、性学を講じて近隣の教化
につとめる。
3月−佐貫藩阿部正ロ、家督を正身に譲る。
7月−大多喜藩主阿部正義、没。養子正和が襲封。
11月−幕府、代官・羽倉外記に房総海岸防備を命じる。
3月−鶴牧藩水野忠実、没。7次男忠順が襲封。
4月−貝淵藩主林忠英(ただふさ)、老中水野忠邦より若年寄職を免ぜられ、加増地8000石を収公される。7月、次男忠旭が襲封。
10月−勘定吟味役・川村修就(ながたか)、砲台設置場所選定(総州、房州、相州、豆州の浦々御備場検分)のため
12月まで各地を廻る。
11月−久留里城搦手に藩校・三近塾を開校。
大多喜城天守閣が火災で焼失。
五井藩有馬氏郁(うじしげ)、下野国吹上へ転封、五井藩は廃藩。
佐貫藩、大坪山に砲台を築く。
6月−貝淵藩林忠旭、印旛沼掘割工事の大名お手伝普請を命じられ、4万両を支出。