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●天明元年(1781)
●天明3年(1783)
●天明4年(1784)
●天明5年(1785)
●天明6年(1786)
●寛政2年(1790)
●寛政4年(1792)
●寛政5年(1793)
●寛政7年(1795)
●寛政8年(1796)
●寛政9年(1797)
●享和元年(1801)
●享和2年(1802)
●享和3年(1803)
11月−有馬氏恕(うじよし)、1万石で陣屋を伊勢国河曲郡西条より上総市原郡五井村に移し、五井藩が成立。
上総道学の祖とされる稲葉黙斎(いなばもくさい)が、江戸から今の大網白里町に
移って道学を講じる。
9月−五井藩有馬氏恕、没(22歳)。11月、養嗣子氏保が襲封。
浅間山が大噴火し、関東一円が降灰で凶作となる。
閏1月16日−幕府が米価高騰のため,関東・東北・信濃の農民へ余剰米の販売を命じる。
2月10日−幕府が、江戸に関八州産の菜種の買受問屋2軒,村々に買次ぎ200人を指定し、
大坂回しと自給分以外の販売を命じる。
3月−久留里藩黒田直英、家督継承。
10月7日−幕府が、関八州および伊豆・駿河の諸河川の稼ぎ船から農業船までに
極印登録をして課税を試みるが、強硬な反対運動にあい中止する。
天羽(あまは)郡金谷村(富津市)の農民太左衛門らが領主の旗本白須氏に減租を訴え、
のち太左衛門は獄死する。
7月−久留里藩黒田直英、没(28歳)。次男直温(2歳)が家督を継ぐ。
7月−五井藩有馬氏保、没(28歳)。9月、久保が襲封。
11月−佐貫藩阿部正実、家督を正簡(まさひろ)に譲る。
農政学者・佐藤信淵(のぶひろ)が一宮藩主・加納久周(ひさのり)に招かれる。
3月〜4月−老中松平定信が関東沿岸を巡視する。
8月−幕府が、日蓮宗不受不施派信仰の隆盛につき、禁止宗教の信仰厳禁を命じる。
佐貫藩で藩校・誠道館が開校。
農政学者の佐藤信淵(のぶひろ)が、山辺(やまのべ)郡大豆谷村(まめざくむら=今の東金市)の木村久衛門方に滞在し、
農芸、医業を行う。
8月−久留里藩黒田直温、没(17歳)。叔父直方が家督を継ぐ。
6月−飯野藩保科正率、家督を嫡男正徳に譲る。
9月−大多喜藩主阿部正升(まさのり)、家督を正路(まさみち=正道)に譲り、隠居。
小林一茶が始めて房総を訪れる。木更津に船で入り富津、金屋に立ち寄る。