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●元和元年(1615)
●元和2年(1616)
摂津西宮の海産物商真宜(さなぎ)九郎右衛門の勧誘で、銚子飯沼の田中玄蕃が溜醤油を作りはじめたという。
●元和3年(1617)
●元和5年(1619)
●元和8年(1622)
●元和9年(1623)
3月−佐貫藩内藤政長、大坂の役の軍功を賞され安房平郡勝山に1万石を加増され、4万石となる。
7月−大多喜(5万石)藩主・本多忠朝、大阪夏の陣で戦死(33歳)、甥の政朝が継ぐ。
11月−姉崎藩主松平忠昌、3万石を加増され常陸国下妻へ転封。姉崎藩は廃藩
紀州加田浦(現和歌山市)の猟師大甫七重郎が、川津村(現勝浦市)に来て八手網(はちだあみ=関西漁法)
で漁を行なう。
大甫七重郎、紀州湯浅村・栖原村(ともに現有田郡湯浅町)の猟師を連れて再訪し岩和田浦(夷隅郡御宿町)で漁を行なう。
9月−大多喜藩主・本多政朝が播磨国・竜野5万石に移り、阿部正次が武蔵国鳩ケ谷藩から入封する。
上総市原郡潤井戸(現・市原市潤井戸)に、永井尚政が陣屋を構え、潤井戸藩が成立。
大多喜藩主・阿部正次、相模国小田原藩に転封。
12月−元姉崎藩主松平忠昌の弟直政が越前国木本から姉崎へ入封、姉崎藩が再成立。
9月−佐貫藩内藤政長、陸奥国岩城・平藩7万石に転封。10月、松平(桜井)忠重が1万5000石で佐貫に入封。
10月19日−岩槻藩主青山忠俊が将軍家光の怒りに触れ2万石に減封のうえ大多喜に転封、のち下総国網戸に蟄居。大多喜藩は廃藩、大多喜城は廃城。