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●享保元年(1716)
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●享保16年(1731)
●享保20年(1735)
3月−日蓮宗不受不施派の僧日近(にっこん)が行川村で布教を行う。
5月2日−幕府が関八州の鉄砲所持者を検閲し,また江戸10里四方
では猟師にも鉄砲の使用を禁じる。
4月−夷隅郡一帯で不受不施派信者が増え、従来の旦那寺が内信者を追放するなど争いが表面化。幕府寺社奉行の吟味となり、
7月−僧日近は7月2日に牢死。内信者のうち天台宗に改宗したものは赦免。
11月−飯野藩保科正殷(まさたか)、致仕し、正賢三男・正寿(まさひさ)が襲封。
12月28日−幕府が関八州の川船について寸法・極印の改定・点検を命じる。
5月−大多喜藩主・阿部正久、没。6月に長男正貞が襲封。
幕府の開発政策により、151町余の土地が千町野(ちまちの=茂原市)の農民に割り渡される。
9月−幕府が東金領新開墾地入植者を江戸町方から募集する。
4月−幕府が田畑被害のため猪・鹿を鉄砲でおどすことを関八州の農民に許す。
12月14日−幕府が灯油・蝋燭製造のため関八州の農民に唐胡麻
(とうごま)の栽培を奨励し,江戸に買い問屋2人を定める。
永田村(現・大網白里町)で幕府勘定奉行管轄の新田検地が行われる。
2月26日−幕府が,関八州で猪・鹿に対する農民の鉄砲使用制限を緩和する。
8月−幕府が関八州の諸代官に命じて農民の菜種栽培を奨励する。
10月−勝浦藩主植村正朝、任地大阪で没。12月、恒朝が襲封。
8月−幕府が江戸の精米屋保護および米価引き上げのため,陸奥・関八州から江戸への白米運送を禁じる。
11月28日−幕府が関八州からの白米の江戸輸送をふたたび禁じる。
12月−東金から千町野に至る九十九里浜で行われた新田開発を総括する検地が幕府によって行われる。
将軍吉宗の命を受け、不動堂村(九十九里町)、千葉郡馬加(まくはり=千葉市)村が甘藷栽培試作地に指定され、
青木昆陽指揮の下、予想以上の成果を上げた。