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2月−幕府が二条城の修築を親藩・譜代大名に命じる。
6月16日−後場成天皇の弟智仁親王の別荘桂離宮の庭園が完成する。
9月6日−豊臣秀吉未亡人の高台院(77)没。
11月28日−後水尾天皇の女御徳川和子が中宮となる。
稲葉紀通、福知山藩主となる。
松平定綱、淀藩主となる。
8月18日−将軍家光が宮中に参内する。徳川秀忠は太政大臣,家光は左大臣に任じられる。
9月6日−後水尾天皇が徳川家の私邸,二条城に行幸する。
9月15日−前将軍秀忠の正室で淀君の妹お江与の方(54)没。
10月4日−金地院崇伝が後水尾天皇より円照本光国師の号を与えられる。
狩野探幽が後水尾天皇の二条城行幸に先立ち,二条城の襖絵を描く。
4月11日−茶人今井宗薫(76)没。
5月8日−金地院崇伝が狩野探幽に金地院方丈の障壁画製作を依頼する。
7月19日−幕府が五山諸寺に僧侶の出世などに関する法度を定める。
7月−幕府は朝廷が出した紫衣勅許を取り消し,無効とする(紫衣事件)。
11月−幕府が小堀遠州を仙洞御所造営奉行に任命する。
吉田光吉、「塵劫記」刊行。
3月17日−安楽庵策伝が笑話本「醒睡笑」を編み,京都所司代板倉重宗に献上する。
8月2日−紫衣事件で権限を侵害された後水尾天皇が譲位を表明したため,徳川秀忠が諌書(かんしょ)
を送る。また,翌日将軍家光も同様の書を送る。
9月15日−伊勢の津藩主藤堂高虎が南禅寺山門を再建し,落慶供養が行われる。
12月24日−上賀茂社が正遷宮。以後賀茂社の式年遷宮が復活する。
儒学者松永尺五(せきご)が西洞院二条に私塾春秋館を開設する。
宮津に魚問屋が開業される。
5月−長雨のため,鴨川・高野川が氾濫し,三条大橋が破損する。
7月7日−宮中で池坊専好の指導のもとに大立花会が催される。
7月25日−幕府が紫衣法度に背いた大徳寺の沢庵らを配流する。
10月10日−将軍家光の乳母お福が後水尾天皇に謁し,「春日」の称号をうける。
10月18日−所司代板倉重宗が町人の大脇差の禁止など5か条の禁令を出す。
11月8日−後水尾天皇が幕府への抗議の意を込めて譲位し,女一官が践祚,明正天皇となる。
11月9日−後水尾天皇の退位にともない,中宮徳川和子が東福門院を称する。
11月−俳人山本西武(にしたけ)・松永貞徳らが妙満(みょうまん)寺で百韻俳諧を行う。
7月13日−幕府が京都所司代板倉重宗に,市中政務覚書を与える。
9月12日−明正天皇即位の大礼が行われる。
10月3日−幕府が仙洞御所料として3,000石を献上する。
10月29日−所司代板倉重宗が浪人のお抱え・新寺建立を禁止する。
12月10日−仙洞御所が完成する。
2月17日−幕府が清水寺の再建を開始する。
8月−豪商灰屋紹益が遊女吉野太夫を身請けし,妻とする。
閏10月20日−所司代板倉重宗がキリシタン・浪人の隠匿,新寺建立を禁止する。
角倉了以の子、素庵没(61)。
小堀遠州が南禅寺方丈庭園・金地院林泉を造営する。
1月9日−知思院が山門のみを残して焼失する。
永井尚政が淀に移り、10万石を知行する。
徳川三代将軍家光上洛。洛中に銀5,000貫を配る。
閏7月3日−将軍家光が仙洞御所に御料7000石を贈る。
閏7月9日−薩摩藩主島津家久が琉球使節をともない,二条城で将軍家光に謁見する。
8月−幕府が小堀遠州に仙洞御所の庭泉築造奉行を命じる。
冬・幕府が連年の不作のため,江戸・京都・大坂・堺などの代官・地頭に
酒造の半減と農民救済措置の実行を命じる。
10月10日−所司代板倉重宗が市中潜伏のキリシタンの密告を市民に奨励ずる。
10月24日−琉球人が朝廷・仙洞御所で楽器を演奏する。
宮津城完成、城下町も整備。稲荷祭りが華美に行われる。
幕府が公営の薬園を開く。
文人石川丈山が洛北一乗寺に詩仙堂を建てる。
本阿弥光悦(79)没。
笠置屋の初代大倉六郎右衛門が、山城伏見に出て酒造業をはじめる。
幕府が淀川往来の過書船(かしょぶね)を支配する角倉玄紀(はるのり)らに淀大橋の修理を命じる。
7月13日−公家で歌人の烏丸光広(60)没。
7月2日−六条柳町遊郭が朱雀野の替え地に移転する。
文人石川丈山が洛北一乗寺に詩仙堂を建立する。
2月14日−華道池坊発祥の地六角堂池坊で立花会が催される。
祇園会が多くの見物人で賑わう。
8月30日−幕府が宮中・女院・新院つきの侍・与力などをおき,その職掌を定めた条目を出す。
10月3日−明正天皇が紹仁(つぐひと)親王(のちの後光明天皇)に譲位する。