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●明和2年(1765)
●明和3年(1766)
●明和4年(1767)
●明和5年(1768)
●明和8年(1771)
●安永3年(1774)
●安永4年(1775)
●安永5年(1776)
●安永7年(1778)
●安永8年(1779)
●安永9年(1780)
2月−幕府が葛野(かどの)郡梅津大明神へ修復料として銀200枚を寄付し,江戸内での
安産の守札・産砂(うぶすな)の販売を許可する。
春−絵師円山応挙が代表作のひとつ「雪松図」を京都で描く。
7月3日−近畿一帯が大風雨に襲われ,8月3日にも再び大風雨にあう。
7月1日−朝廷が,宮廷役人がみだりに菊の紋章入りの提灯を使うことを禁じる。
6月−幕府が、朝鮮人参価格を決定し、7月の発売および江戸・京都・飛騨高山の下売り商人を定める。
8月22日−幕府が尊王論者山県大弐を死刑に処し、宝暦事件の竹内式部を
八丈島流刑とする(明和事件)。
1月22日−富商らの出願した教質奥印差配所の設置に反対する町人たちが、
出願人宅などを打ちこわす。
3月−上田秋成が「雨月物語」を完成する。
6月1日−江戸初期の代表的越訴者、阿波の十郎兵衛に題材をとった、人形浄瑠璃の「傾城阿波鳴門
(けいせいあわなると)」が、前年10月以来中絶していた竹本座で上演される。
京都に遊学する者のために、「平安人物志」が刊行される。
8月−吉益東洞(とうどう)が「薬徴」を著し、陰陽五行説を排して新たに薬効を規定する。
8月−池大雅・与謝蕪村の「十便十宣画冊」が完成する。
「おかげ参り」(伊勢参り)が南山城地方からおこり、京中もまきこまれる。
7月30日−幕府が二朱銀の鋳造量をふやし、毎月銀座から大坂御蔵(おくら)へ移送
するよう発令。上方での流通をはかる。
8月26日−幕府が宮中つきの役人など数十人を横領の罪でとらえ、翌27日処罰する。
9月5日−幕府が、銭相場安値による米価下落・物価高騰を是正するため,
江戸・伏見での鉄銭鋳造を停止し、真鍮銭の鋳造高を半減する。
5月−4月からの雨で宇治川が洪水となり、桂橋が浮き上がる。
4月−与謝蕪村が,金福寺に芭蕉庵を再興する。
8月21日−諸国の鋳物師を支配する真継家が,配下の離脱傾向を
阻止するため支配権の確認・強化を幕府へ求めるが、幕府はこれを却下する。
7月1日−大雷雨に襲われ、2日の夜に洪水となり、御所などにも被害がでる。
5月−心学の普及者手島堵庵(とあん)が京都に時習舎を開く。
8月13日−幕府が公家馳走役を命じられた者たちへ、節約を申し付ける。