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●宝永2年(1705)
●宝永3年(1706)
●宝永4年(1707)
●宝永5年(1708)
●宝永6年(1709)
●宝永7年(1710)
●正徳元年(1711)
●正徳3年(1713)
●正徳4年(1714)
7月−箔座会所が新設される。
11月−幕府が妙法院門跡領七条河原1万1370坪を宅地とし,以後七条新地を開発する。
八瀬村が延暦寺との土地結界訴訟で勝訴し,永代免租の特権を得る。
閏1月28日−幕府が京都の銭座で宝永通宝10文銭を鋳造する。
3月8日−油小路より出火,内裏・仙洞御所はじめ417町,寺社
100余,1万3,000余軒が焼失する(宝永大火)。
8月22日−幕府は3月の大火に罹災した公家に居宅の造営費を与える。
1月17日−幕府が宝永通宝10文銭の鋳造を停止する。
5月17日−幕府東山天皇に7,000石を進献する。
5月−幕府が現糸割符(げんいとわっぷ)法を停止する。
12月11日−幕府が禁裏御所方火消を新たに設け,京都定火消を再置する。
12月−銀座で永字銀の鋳造を始める(〜1710年3月)。
7月−幕府は八瀬村の住民が結界を越えて比叡山に入山し薪を取ることを許す。
8月−幕府が困窮を訴えた紀伊郡上鳥羽村の桂女(かつらめ)に銀50枚を下賜する。
9月−江戸幕府が上方から江戸への為替延着を取り締まり,過度な場合には両替屋を処罰する。
1月25日−法然上人500回忌法会が知恩院で営まれる。
3月28日−親鸞上人450回忌法会が西本願寺で営まれる。
6月−幕府が旧院の木材を泉涌(せんゆう)寺に払い下げて四条天皇の御影堂を建造させる。
7月7日−幕府が市中・市外で商家が禁裏、仙洞御用達の看板をかけることを禁じる。
3月20日−油広小路椹木(さわらぎ)町から出火,73町1,169軒が焼失する。
5月19日−幕府が輸入糸の減少により諸国に養蚕・製糸を奨励し,また京都西陣に和糸の使用を促す。
7月22日−金地院は崇伝の「国師日記」「異国日記」を幕府に献上する。
3月4日−京都建仁寺開山栄西の500年忌法会が五山で行われる。
5月13日−幕府が荻原重秀と結託して不正利益を得ていた銀座年
寄深江庄左衛門,中村内蔵助ら10名を遠流・追放とする。
10月28日−幕府が公家衆法度4カ条を出す。
12月−幕府が両替商に仲間を結成させ,金銀の両替を行わせる。