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●文化2年(1805)
●文化3年(1806)
●文化5年(1808)
●文化6年(1809)
●文化8年(1811)
●文化9年(1812)
●文化10年(1813)
●文化11年(1814)
●文化14年(1817)
●文政2年(1819)
●文政3年(1820)
●文政4年(1821)
●文政7年(1824)
●文政8年(1825)
●文政9年(1826)
●文政13年(1830)
儒者皆川淇園(きえん)が弘道館を設立する。
青木木米(もくべえ)が青蓮(しょうれん)院粟田御所の御用窯を命じられる。
11月28日−鞍馬寺が炎土し、その再建工事をめぐって長期紛争がおこる。
3月−読本作家・国学者・歌人上田秋成が「春雨物語」を著す。
12月1日−有栖川宮熾仁(たるひと)親王の娘楽宮が徳川家慶(家斉の第4子で、のちの12代将軍)に降嫁する。
陶工仁阿弥(にんあみ)道八が窯を五条坂へ移し染め付けを始める。
3月−二条・大坂両城在番士への米の支給方法が改まる。
7月−伏見稲荷が、伏見奉行に門前町での悪犬の飼育を取り締まるよう願い出る。
2月−茶屋株が許可され、営業が自由にできるようになる。
3月−石清水八幡宮臨時祭が復活する。
12月−賀茂社臨時祭が再興される。
3月2日−池坊専定主催の大華会が開かれる(翌日まで開催)。
7月3日−下京上艮(かみうしとら)組町年寄らが、町代(ちょうだい=町役人)の専横を訴え、町組の地位の
確認と町代の権限について、町奉行所に判断を求める。
国学者富士谷御杖(ふじたにみつえ)が,京都五条坊門に審神舎(さにわのや)を創設する。
上・下京町代改義(かみしもぎょうちょうだいかいぎ)一件訴訟始まる。
3月−下古京8組が、大割寄合を復活し、その法式を定める。
閏4月23日−町組(ちょうぐみ)自治最高機関の「大仲(おおなか)」が成立する。
3月21日−町奉行が、上方から江戸へ出す唐薬・和薬種は江戸両組合以外と取り引きすることを
禁止する。
丹後縮緬大会所できる。
8月−畿内・東海・山陰諸国に大風雨。
7月−オランダ船が運んできたらくだ2頭が京都金蓮寺で公開される。
6月−京都・材木屋仲問以外の他所木材の直売が禁止される。
8月−京都五条坂の陶工が粟田(あわた)焼の類似品を作ったことから、11月にかけて陶器論争がおこる。
10月−下鳥羽村陸揚げの二条城の城米などの運搬のため、西高瀬川開削が計画される。
5月25日−町奉行が,銭相場が高値のため、銭取引の諸品値下げを命じる。
6月−日本画の画面として用いる絵絹の売買が、絵絹織職仲間以外は禁止される。
「御蔭参り」の熱狂が京都にも波及する。