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●万治元年(1658)
●万治2年(1659)
●万治3年(1660)
●寛文元年(1661)
●寛文2年(1662)
●寛文3年(1663)
●寛文4年(1664)
●寛文5年(1665)
●寛文7年(1667)
●寛文8年(1668)
●寛文9年(1669)
●寛文11年(1671)
●寛文12年(1672)
中川喜雲の地誌、最初の名所記「京童(きょうわらべ)」が刊行される。
4月14日−修学院離宮が竣工し,後水尾上皇が行幸する。
6月−隠元隆埼が宇治の地で,黄檗山万福寺の造営に着手する。
7月23日−京都所司代牧野親成(ちかしげ)が市中に座・仲間の結成を禁じる。
幕府が生糸高騰に悩む西陣に糸を原価で払い下げる。
11月−伏見の美濃屋太郎右衛門が初めて寒天を作る。
1月15日−二条光平邸から出火,内裏、仙洞御所、および
公家屋敷100余が焼失する。
3月28日−東本願寺で親鸞400回忌が行われる。
閏8月6日−幕府が内裏・仙洞御所・女院御所・新院御所の造営助役
を諸大名に命じる。
隠元(いんげん)が黄蘗山万福寺を建立。
2月−伊藤仁斎が掘川に儒学塾古義堂を開く。
3月−地震で方広寺金銅大仏が倒壊し,木造に替えられる。
5月1日−大地震で近畿全域が大被害をうける。
5月29日−狩野探幽が新内裏の絵画を担当し,法印の位に叙せられる。
このころ、大文字の送り火はじまる。
1月26日−後西(ごせい)天皇が譲位する
(4.7識仁(さとひと)親王が霊元天皇として即位)。
1月−宇治黄檗山万福寺法堂が完成し,隠元隆埼が入る。
町飛脚が仲間を結成する。
9月26日−京都の医師江村専斎(せんさい=100)没。
1月18日−京都所司代牧野親成(ちかしげ)がキリスト教禁制の町触れを新たに出す。
1月−仮名草子作者浅井了意の洛中名所案内記「京雀」が刊行される。
閏2月19日−幕府が,五畿内・近江・播磨で本田畑での煙草栽培を禁止する(山野の新開地では許可)。
5月16日−幕府が病気で退任した牧野親成(ちかしげ)に代え,老中板倉重
矩を京都所司代とする。
7月13日−幕府が京都町奉行を創置する。
京都町奉行が四条河原の歌舞伎興行を公認する。
牧野親成、田辺藩主となる。
石川寛之、淀藩主となる。
1月20日−幕府が窮民に対し北野・七本松・四条河原で100日間に
わたって粥施行(かゆせぎょう)を行う。
9月29日−堤防の竹林を公用以外に伐採することを禁じる。
11月−鴨川筋の堤防築造が始まる(翌年竣工)。
狩野探幽・安信・常信が大徳寺玉林院客殿の障壁画を描く。
京都所司代板倉重矩が市中の無宿者男女70人を壱岐島(いきのしま)に送り,
農民とする。
1月15日−大火で数十町を焼失。2月6日、幕府は失火者六条有綱を
蟄居処分にするよう京都所司代に通達する。
狩野探幽が大徳寺孤蓬庵襖絵「山水図」を描く。
3月23日−幕府が京都・大坂・堺の貿易商人に,入札手続き・取引
の市法売買などの新規則の採用を通告する。
10月27日−表千家祖千宗左(60)没。
11月10日−町奉行が幼児の人身売買を禁じる。