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●元和元年(1615)
●元和2年(1616)
●元和3年(1617)
●元和4年(1618)
●元和5年(1619)
●元和6年(1620)
●元和7年(1621)
●元和8年(1622)
丹後国が、宮津、田辺、峰山の三藩に分けられる。
●元和9年(1623)
(大阪夏の陣)
3月12日−所司代板倉勝重が幕府に豊臣方の再挙計画を報告する。
5月23日−大坂落城後,ひそかに隠れた豊臣秀頼の遺児国松が捕まり、六条河原で処刑される。
6月2日−安土桃山時代の画家で海北派の祖・海北友松(83)没。
6月11日−茶道家の古田織部(重然)とその子重広が、豊臣方に加担したとして切腹させられる。
7月7日−将軍秀忠が伏見城に諸大名を集め,武家諸法度13か条を布告する。
7月9日−家康が秀吉の廟がある豊国神社の破却を命じる。
7月17日−幕府が二条城に公家衆を集め、禁中並公家諸法度を布告する。
7月24日−家康が仏教諸宗に対し諸宗寺院法度を布告する。
7月秋大坂落城の瓦板が出される(現存する最古の瓦板)。
この年、
家康が本阿弥光悦に洛北鷹ケ峰に土地を与え、光悦はここに法華信徒の芸術家村をつくる。
5月5日−東河原で右合戦があり,死傷者を出す。
5月7日−秀吉の未亡人高台院(ねね)が妙心寺養源院で大坂の陣戦没者の供養を行う。
8月6日−幕府が方広寺に秀吉の墓を建立する。
2月21日−朝廷が亡き家康の神号に東照大権現を勅賜する。
2月25日−所司代板倉勝重が将軍秀忠の上洛に備えて、道路の修築を命じる。
3月−2代目阿国が四条中島で歌舞伎を催す。
6月12日−将軍秀忠が上洛。29日に伏見城に入り、7月7日,伏見城に諸大名や公家衆
を招集して猿楽を催す。
7月14日−将軍秀忠が伏見城代松平定勝を罷免し、後任に内藤信正を任命する。
8月16日−オランダ商館の派遣員が将軍秀忠に謁見する。24日にはイギリス商館長も謁見する。
8月26日−大坂平定を祝賀して、朝鮮使節呉允謙が伏見城で将軍秀忠に謁見する。
8月26日−後場成上皇が没し、院政が終わる。
11月22日−六条柳町遊郭惣中の要請で,柳町以外での遊女屋が禁止される。
この年、造園家の小堀遠州が伏見城作事奉行となる。
1月29日−幕府が京都所司代などに命じ、偽山伏の諸国勧進を禁止させる。
3月−前年焼失した西本願寺の再建が始まる。このとき,聚楽第の一部である飛雲閣が移される。
5月3日−桃山時代の代表的画家、雲谷等顔(72)没。
6月21日−京都所司代板倉勝重が将軍秀忠の娘和子と天皇家との婚姻について、朝廷の武家伝奏広橋兼勝と協議する。
6月26日−板倉勝重がキリスト教宣教師を処刑する。
この年、石清水八幡官が造営される。
織田有楽斎が建仁寺正伝院に茶室如庵を創建する。
1月28日−幕府が公家衆の行うべき諸芸稽古の式日・課目を定める。
8月29日−七条河原でキリシタン60余名が火刑に処せられる。
9月15日−幕府が金地院崇伝を禅宗寺院を管轄する僧録司(そうろくす)に任命する。
9月18日−幕府が公家の万里小路桂哲らを不行跡の罪で流罪とする。
9月−京都所司代板倉勝重退職。代わって息子重宗(のちに、京都市中民政の基本法典
といわれる「京都市中諸法度21ケ条」を制定する。)着任。
この年、
小出吉親、園部藩主となる。
将軍秀忠の娘和子が天皇家へ嫁入りするため,女院御所が造営される。
狩野貞信・探幽ら狩野派一門が障壁画を描く。
2月30日−放火によるものと思われる大火が発生し,相国寺などが焼ける。翌月まで放火が頻発、
4月には京都の町に防火の規則が定められる。
5月−大雨が襲い賀茂川・大和川などが氾濫する。
6月18日−将軍秀忠の娘和子が入内し、後水尾天皇の女御となる。
4月−各地で火事が頻発し、市中で煙草が厳禁される。
将軍秀忠の正室お江与の方が伏見城の廃材木で養源院を再建。俵屋宗達が襖絵を描く。
松平成重が亀山藩主、岡部長盛が福知山藩主となる。
後水屋天皇が銅活字本「皇宋事宝類苑」を将軍秀忠に贈る。
2月−京都四条河原で勧進能が催される。
3月16日−紺灰座(こんはいざ)を支配した京都有
数の豪商で連歌・茶道・蹴鞠などに造詣が深かった灰屋紹由(はいやしょうゆう=85)没。
8月20日−所司代板倉重宗が町人の訴訟・商売・火事など9か条の法度を出す(京都市中諸法度)。
7月27日−徳川家光が朝廷より征夷大将軍職を宣下される。
8月24日−幕府が市中に浪人が徘徊することを禁止する。
8月24日−幕府が朝廷に新御領1万石を寄贈する(朝廷御領は計2万石となる)。
閏8月3日−シャム(タイ)使節が将軍家光に謁見する。5日、家光は金地院崇伝にシャムへの返書作成を命じる。
閏8月20日−幕府が松平定綱に、伏見城天守閣の廃材を利用して新淀城を建設することを命じる。
9月16日−近衛信尋が関白となる。
9月23日−所司代板倉重宗が在京浪人の寄宿を禁止し、追放を命じる。
小堀政一(遠州)が伏見の奉行となる。