天明寛政享和リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●天明元年(1781)
●天明2年(1782)
●天明3年(1783)
●天明4年(1784)
●天明5年(1785)
●天明6年(1786)
●天明8年(1788)
●寛政元年(1789)
●寛政2年(1790)
●寛政4年(1792)
●寛政5年(1793)
●寛政12年(1800)
5月2日−寺町大雲寺で,織田信長・信忠200年忌法要が営まれる。
春−手島堵庵が心学の講舎,明倫舎を京都で開設する。
8月30日−幕府が江戸・京・大坂・堺、4か所の明磐(みょうばん)会所に,
薩摩産と輸入明磐を扱う会所を増設する。
6月25日−小石元俊・橘南谿(なんけい)らが,伏見で刑死体を解剖する。
6月−全国的な天候不順で米価が急騰したため、江戸・大坂・京都など
で米・銭の施しが行われる。
5月7日−飢饉後の疫病流行のため,幕府が1733年の医家望月三
英・本草学者丹羽正伯による処方を諸国に頒布する。
9月26日−伏見の町人が伏見奉行小堀政方(まさみち)の苛政を幕府へ越訴する(伏見騒動)。
夏−医師の橘南谿が東国遍歴の旅から帰京する。
1月30日−四条宮川町から出火して大火となる(天明の大火)。
2月21日−幕府が,火災被害見分のため勘定奉行を派遣し,手当として米3,000俵・銀60貫目を
貸し与え,また,この月,材木の京都への売り渡しを畿内近国へ命じる。
9月11日−幕府が,薩摩藩・熊本藩に京都大火で被害をうけた禁裏修復の
助役として上納金を命じる。
9月−幕府が,年貢米の蔵納め手続きを請け負う納宿(おさめやど)を廃止する。
11月12日−2月に光格天皇が父閉院宮典仁(すけひと)親王へ太上(だいじょう)天皇の称号を
贈る了解を幕府に求めたのにたいし,松平定信が関白へ拒否を回答する。
11月22日−内裏の造営がなり,光格天皇が聖護院仮御所から移る。
11月12日−典仁(すけひと)親王に尊号を贈る内意を1月18日に再度幕府に伝えた朝廷が、
承諾をえられず尊号宣下を中止する。
1月26日−幕府が太上天皇の尊号に関して,議奏中山愛親(なるちか)らを江戸へ下向させる。
7月20日−岩橋善兵衛が自製の天体望遠鏡を用い、橘南谿宅で天体観測を行う。
7月2日−幕府が江戸常是(じょうぜ)家を上納金延滞により処罰し、京都常是家を
江戸・京都・大坂の銀座御用とする。
天明8年(1788)年の大火で大打撃を受けた西陣が、ようやく復興する。