河骨川の上流に住んでおられる北田さんという方のお話ですが、「小田急線の参宮橋駅のホーム脇の流れにコウホネが戦後咲いていた」と語っていました。北田さんのお父様の知り合いだった植物学者の矢野佐(たすく)さんが確かめたそうで、これは間違いありません。今もその溝はホーム脇に残っています。ビックリする話ですが、北田さんによると、上流にはカワウソがいたそうです。「山手通り近くの田んぼが昭和20年代に沼になっていて、そこでカワウソにアヒルを10羽食べられてしまった。カワウソは年中出ていたよ」「かわいい顔をしていた。色がついた大きめのネズミのようだった」そうです。渋谷にカワウソがいたなんて、信じられませんが、江戸時代は下流の広尾にもいたんですよ。
次に地図の「上原からの流れ」ですが、この土地に大正時代に住んでいらした鈴木錠三郎さんの証言があります。当時人手がないため自宅の田んぼを売り、そこが使われないで水たまりになっていました。今の上原中学校のある土地です。鈴木さんによると「そばを流れる小川は綺麗で小魚が泳ぎ、コウホネが黄色い花を揺らし、上流にはカワニナが住んでいた」と。カワニナとは淡水の巻き貝で、ホタルの幼虫のエサになります。この話は辻野京子さんが書かれた『町の記憶』(個人書店)という本にありますが、同じ話を鈴木さんの息子さんにお会いした時にも聞きました。鈴木錠三郎さんが描いた土地の絵が残っているのですが、それを見ると、田んぼや湿地帯の所に野うさぎやホタル、タケノコなどが描かれています。当時上原の辺りは鉄道もビルや住宅もない自然が豊かな土地で、色々な生き物がいたのですね。
もう一つは宇田川下流、渋谷文化通りの上にあった旧東急本店の辺りの話です。本店の脇に昔は大きな湿地帯(沼のような所)があったのですが、そこを「かわほね沢と言った」と『渋谷区史』に書いてあります。この池か沼にコウホネがあったからこのような名前が付いたのでしょう。江戸時代の地図を見ると、渋谷を流れる宇田川のことを「コウホ子落」と記したものがあります。こうしたことから考えて、昔は宇田川の本流や支流のあちこちにコウホネがあったようです。コウホネは水生植物なので、川の流れに沿って株が広がりますから、幾つもの川が集まっていた富ヶ谷にもおそらくコウホネがあったのでしょう。
<コウホネの話を後輩たちにも>
コウホネは幾つかのステップを経て富谷小学校にたどり着きました。まず、昭和30年代に河骨川が道路の下に埋められて下水になりましたが、その後しばらく時が経ってから、その株が渋谷区白根郷土博物館・文学館に届けられました。そこから鍋島松濤公園の池に運ばれ、再び約10年後にその株の一部が恵比寿たこ公園に移され、それが吉川先生のお力で富谷小学校にまでたどり着きました。それは、河骨川が下水になってから約60年後のことです。
今では川の近くに棲息していたカワウソや野ウサギはいなくなってしまいましたが、コウホネは見事にサバイバルして現代まで生き延びてきました。皆さんには、これからもコウホネを大事に育てていただいて、自然がまだ残っていた頃の渋谷の姿を伝えていただきたいと思います。皆さんの後輩たちに「カメ池」のコウホネを引き継ぎ、渋谷の昔の川の話や動物たちのことも語り継いで下さいね。コウホネを可愛がって下さい。今日はお話を聞いて下さってありがとうございました。(梶山公子)