homepage > pcat

自作PC奮闘記

更新 2018/12/22


メインPC新造>2018/08/16
beyondRAID drobo導入>2016/04/13
Bluetooth レシーバー再々変更>2016/04/03
Bluetooth レシーバー変更>2016/03/23
<Windows 10 クリーンインストール>2016/02/18
<Windows 10 アップグレード>2016/02/07
Bluetooth 再再挑戦>2016/01/31
システムドライブ変更>2015/11/22
SSD 250GB 増設!>2015/09/22
SSD 240GB 増設!>2015/06/09
windows8.1 再インストール!!>2015.01.08
Bluetooth 再び!>2014.10.08
Blu−rayドライブ換装>2014.11.01
内蔵カードリーダーライター>日付不詳
キーボード無線化 unifying>2014.10.13
Windows8.1導入>2014.06.10
USBDAC接続U>2014.01.09
USBDAC接続>2013.10.23
<Bluetooth ヘッドフォンマイク接続>2013.09.01
BDXL外付けドライブ>2013.07.25
CPUクーラーファンを水冷化>2013.06.27
内蔵音源 ONKYO SE-200PCI LTD に変更>2013.03.03
i7に変更>2013.01.06
i5 ZALMAN Z9 U3 PC新造>2013.01.02
SSD Samsung 840 128G 換装>2012.12.01
DELL Inspiron910 SSDモデル改造>2012.03
DDR2 6400 RAM 総入れ替え 8Gに>2012.03.04
Bluetooth 4.0 +EDR/LE>2012.02.05
Bluetooth 3.0 +EDR>2011.09.11
SDHC UHS−I カードメモリー購入>2011.09.03
windows7 64bit版 インストール>2011.07.26
USB3.0 カードリーダーライター>2011.07.20
グラフィックボード交換>2010.12.23
1.5THDD搭載、ブルーレイドライブ搭載、USB3.0インターフェース搭載>2010.02.05



<静音PCにするためにCPUクーラー交換>2010.12.10



 本来であれば、電気的にも機械的にも雑音だらけのPCに、高音質の音楽データを再生させるのはご法度とずっと考えてきたのですが、どうしてもアナログLPレコードやカセットテープの音をデジタル化したくて、改造を始めました。

オンボード音源チップよりも、良い音が出そうなONKYOの音源ボードを発見し購入しました。

自作のPCケースを開けて、雑音の元を見てみたのです。

 そうしましたら、駆動の雑音として、リテールのCPUのファンが問題ありと分かりました。

インターネットでちょっと調べて、PCデポへ出かけて、悩んだ挙句、写真の「ANDY SAMURAI MASTER」を購入しました。
 3970円。

 装着には少々根性が要りました。

 マザーボードをはずすつもりはないので、本体を寝かせて、リテールファンをはずしました。
 固定ピンは簡単にはずすことが出来ました。
 取り外した後、CPUにシリコングリスを薄く、均一にぬりました。

 さあ、いよいよ新型を付けますが、まず、ヒートシンクがでかいので、固定ピンになかなか指の力が入らず、結局、2ピンが刺さりません。そのままの状態では固定することが出来ないことが分かりました。

 そこで、邪魔になる電源ユニットと、グラボをはずしました。

 そして、やっと装着し、電源を入れてみて、びっくり!

12センチファンの静かなこと。

ついでにBIOS画面から、各部の温度を確認してみました。

 あらっ!! マザーボードは36℃、CPU温度が・・・85℃!!

 やばい! すぐに電源を落として、確認すると、ヒートシンクの底面のビニールをはがすのを忘れていました。

 また、付け直しです。

 このCPUクーラーと格闘して、私も、助っ人の息子も指を切ってしまい、出血騒ぎに。

 しかし、やっと装着して、温度モニターを確認すると36℃に安定しました。

 12センチファン、1200回転 も実に静かに回転しています。

 あ〜良かった、CPU飛ばないで。


<CPUクーラー再交換>




 側板まで15ミリ程度しかなかったせいか、アイドリング運転40℃と冷えが悪かったので、交換しました

 mixiで確認すると、皆さんアイドル運転はCPU温度20℃台です。

 
 吸い込みの抜けも良くなり、アイドルは25℃と安定しました。取り付けも実に扱いやすかったです。

 差額もたったの400円。

 マザーをはずしての交換は抵抗があったので、ねじ止めなどのクーラーは、対象外にしました。結果、それほど悩まず、これにしました。

 「サイズ」のL型アングルB120mm静音ファン、1200rpmです。

 その後、秋の音楽鑑賞の時期になると、さらに静音にしたくて、さらにファンを交換することになり、いろいろ物色して、「サイズ」の極静音ファン500rpmのものを購入してきました。

 しかし、マザー上のCPUファンコネクターは4ピン。

 購入したファンはなんと、3ピン。

 起動すると、BIOSの警告表示が出ました。

 CPUファン異常だと言うのです。

 それで、もとのファンをきれいに掃除して、戻しました。

 3ピンー>4ピン cable included と書いてあるのに。

 どうやら15V電源のことでしたね。

 残念〜切り〜

 何?古いって?

 わっはっは(^O^)/

<音源交換、高音質ONKYOのWAVIO「SEー90PCI」>


 PC97オンボードで満足していたのですが、前述のとおり、ONKYOで手ごろな価格で音源ボードが出ています。

 インターネットを使って調べてみると、これがなかなか良さそうです。マザーボードのPCI二つ空いています。

 よし、高音質データにふさわしい音源を使ってみよう。

 昔から、オンボードの何もないマザーに、パーツを組み付けて、PCを作ってきましたが、オンボードチップもどんどん競争でいいものが載るようになってきました。

 ちなみに、これからのオンボードUSBは「USB3.0」が目玉ですよね。私は一足早くPCIエクスプレススロットにUSB3.0を増設しました。

 ONKYOもさすが音響メーカー!!良い音を出しています。SE−90PCI、最高!!

オンボード音源とは比較になりませんでした。


<アナログLPレコードのデジタル化>

2009年5月、躁状態の私は、爆発的に行動を開始しました。

まず、ついに「アナログレコードプレイヤー」とプリンストンテクノロジー社の「デジ造」を購入してUSB接続して、200枚前後のアナログレコードをデジタル化することにしたのでした。

久しぶりに聞くアナログレコードの音には改めて驚かされました。

そのポテンシャルの高さ!!

CDレコードでは絶対に聴けない音でした。

そして、デジタル録音ソフトで、始めに購入したのが「DigiOn DVDAudio」でした。

アナログ音源をデジタルデータ化して、DVDaudioにするという計画でした。

しかし、DVDに焼く前に、PCに保存して音を聴いてみますと、こいつがどうも思ったような音が出ていません。


 そこで、ネットでいろいろ調べて見ますと、デジタル録音には、分解能 量子化ビットレートとサンプリングレートというパラメータがあるのを思い出しました。

 アナログLPレコードやカセットテープを、デジタル化して保存するには、意味があります。

 私が、幼少のみぎりから、父が安い小遣いで毎月買って来てくれた「アナログLPレコード」を処分するように家内に言われていたのです。

 処分する以上は、デジタル高音質で息子に引き継がなければいけないと思いました。

 家内にとってはごみの山であっても、なんとしても納得の行く高音質で保存して、息子に引き継ぐのが、私に課せられた、ご先祖様への廻向、高音質であることがLPレコード処分の条件でした。

 さらに調べると、インターネット上では、高音質の音楽配信は分解能 量子化ビットレート24Bit、サンプリングレート96kHzになっている。

 視聴してみて、じゃあデジタル録音はそれ以上じゃなきゃだめだ。

 私の要求に合致したのは、「インターネット社」の「Sound it!ノイズリダクションパック」でした。

 一旦、高音質で残しておけば、子供たちが更に加工して、携帯音楽プレイヤーのmp3や、CDにしてもかまわない。

 「Sound it!」は、24Bit、192KHzまで対応していました。

 録音して聴いてみるとオーケストラなどの音質が歴然と違いました。かなりアナログ音源に近いのです。

 しかし、デジタル化を始めたDVDaudio作成ソフトは、24Bit、44.1kHzまでしか対応しておらず、頓挫していたのです。

このパラメータで完成したと思い、相当数のレコードが録音され、処分してしまっていました。

 なんと浅はかだったのでしょう。

 悔やんでも仕方がない、LPレコードの処分先へ飛んで行きましたが、すでに、ほとんどがありませんでした。

特別のお気に入りレコードだけは、自宅に残してありましたから、それは24ビット、192kHzで録音しなおしました。


最近は、中古レコードが安いので、物色しています。

ハードオフのレコード売り場は、邦楽、洋楽、クラシック、民族音楽、映画、に大別されています。

 時々掘り出し物があるので、物色しに出かけ、お宝を探しています。

 未練たらしく、処分してしまった「カンツォーネ」を探しています。

 このカンツォーネが名盤だったのに、手元に残ったのは、分解能 ビットレート24ビット、サンプリングレートが44.1kHzのデータでした。ベートーベンの第六「田園」も探しています。

 非常に悔やんでいます。

 オンラインでも程度の良いものが売りに出ていますが、ハードオフで見つけると、105円です。

<ブルーレイドライブ購入>2010.01.03

2010年正月3日、メインPCについにブルーレイドライブ導入!!LG電子のものですが、DVDドライブからずいぶん進化しました。まず静かです。


もう6年以上になるミドルタワーケースですが、まだまだ使えます。

ブルーレイドライブは2段目の黒いベゼルのドライブです。

 LG電子のDVDドライブは、2台使用してきましたが、動作音が大きかったり、トレイが出なくなったり、長年使っていると日本製に比べて、印象的に、壊れやすい感じがしましたので、安くてもあまり使いたくなかったのですが、今回は激安日替わり特売、17700円だったので、思い切って使うことにしました。

 この価格で、25Gのブルーレイが使えるようになるならば実験してみましょう。
ドライブを交換し、シリアルATAを接続、起動するとXPではCDドライブとして認識されました。
即使用可能。
 画像をどっと流し込んでやると、静かに記録が始まりました。

使ってみて、1週間。

トレイが出てこなくなりました。ベゼルのボタンを押しても、コマンドで「取り出し」を押してやっても、出てきません。
 何かソフトの関係か、確認のため、順番にプログラムを終了させてゆきましたが、だめでした。
 緊急手段の、強制取り出し、ベゼルの穴に、取り出し用の棒を突っ込みました。トレイが押し出されてきました。

 タワーの側板をはずし、配線の確認をしましたが、電源の線も、SATAケーブルもきちんと繋がっています

 再起動をしましたら、BDドライブは、通常通り動き始めましたが、もう、信用できません。
 
 即刻、ドライブをはずし、取っておいてある箱に詰め、「安かろう悪かろう」かな〜

 今週のPCデポの広告を取り出し、バッファローの21700円のドライブを発見。
 即、電話をして在庫の確認をしました。あるとのこと。

 さて、購入したPCデポに持ち込みました。
 もちろん、保証書もレシートも保管してありましたので、状況を説明して、返金して貰いました。

 そして、広告で確認してあったドライブを購入しました。



 なんとドライブは、日立LGストレージのものでした。しかし、「バッファロー」という安心感があります。
 年末、ボーナスの小遣い、家内に返上しましたから、年末年始で、改造されることがなかったので、初めてPCケースの開けられることのない、年越しだったわけですが、病人の私に忘年会・新年会のお誘いもなく、こつこつ貯めてあったお小遣い貯金を少しづつ、取り崩して、更新しているわけです。

 ちなみに音楽データで、手狭になっていたHDD250G(ふんだんにソフトの付いたバッファローのもの)も、1.5TBのSEAGATEのハードディスクが、やはりPCデポの日替わり特売で9980円!!だったので、入れ替えることにしました。

抜き出した250GHDDは、データを1.5TBのHDDへデータを引き継ぎました。

そして、USB3.0対応の外付けドライブへ入れられ、USB外付けドライブとして復活しました。

 この、USB3.0、規格自体は2007年末に出たもののようですが、USB2.0の10倍の転送速度を誇り電源管理も徹底されているようです。

USB3.0のインターフェイス、ついに出た感じですが、週間アスキーに特集記事が出ており、PCデポでも日替わり特売で出てきましたから、早速テストしてみることにしました。PCIエクスプレスのスロットを使用し、同梱の太目のケーブルを繋ぎました。





 <内蔵 1.5TBHDD>

 起動ドライブはSSD128GBで組んでありますので、250GのDドライブを入れ替える予定で、購入しました。

 購入時、まだフォーマットされていませんので、LGのBDドライブをはずした場所に入れてSATA接続し、XPのコントロールパネルから「管理ツール」、「コンピューターの管理」、「記憶域」を選択し、フォーマットを開始しました。

 フォーマットは、なんと4時間近くかかりました。

 ハードディスクは、実は消耗品です。メーカーは2年の動作保障していますが、もたないものもあったり、10年経っても使えるものもありますが、バックアップは必要です。

 保障期間内で壊れてしまった場合、ドライブ自体が保障されても、データは何の保障もありません。

 皆さん、今では常識となった、デジカメの写真データや音楽データ、映像データなどなど、どんどんHDDに保存されているでしょうが、データの保障は一切ないのがメモリー媒体の常識です。

 そこで、じゃあ何にバックアップ取るか?ということになってきます。







 そこで、当研究室では、いろいろ記憶媒体を試しています。microSDなんてものも面白いですねぇ。

 手の爪ほどの大きさのものに「8GB」なんて容量があります。DVDの倍に近いの容量です。

 DVD−DLに匹敵するくらいの、情報が入ってしまいます。 用途も、携帯、ポータブル音楽、などなど。

 しかし、小さすぎて失くしやすい!読まれて良いものなら良いでしょうが、重要なものは保管できません。 

 とりあえず、原本は全てDVDディスクに保存し、音楽データ・写真データは本体HDDの中で管理することにしました。

 バッファローのmicroSDメモリーは耐水性があるものもあるようです。


 このサイズに8Gのデータが入ってしまいます。

 特に、大切なデータを保存するには、向いていないと思います。

 十数枚のマイクロSDが入るケースを使用していますが、安全には大変気を使います。

 万が一どこかに紛れ込んでしまったら、さがすのが大変です。

 携帯や音楽再生機、デジタルカメラと使用用途には幅がありますが、管理のことを考えると危険性この上ない。

 だいたいSDアダプターをつけて使用することが多いです。

 USBアダプターも何種類か持っています。












再度、解体されるメインPC

作業はHDD交換、ブルーレイドライブ増設。

インテークファン動作確認、各種ケーブルの接続チェック。

チリ埃掃除。各部加熱状況チェック。

3.5インチスロットの一番下から128G、システム起動ドライブSSD。

250GHDD、フロッピィドライブ、その上がメモリーリードライター。
その上が5インチベイ、ハードディスクドライブ、温度計、ブルーレイドライブ、一番上がマルチDVDドライブとなっています。

2010年始大改造てん末記

自作PC奮闘記
2009.11.03

最近は、システムがいろいろな意味で安定したので、アナログレコードの高音質、無圧縮デジタル化に入れ込んでいます。

ソフトは、不覚にも調査不足で、順に4本も買い込んでしまいました。

200枚近くのアナログレコードを処分するため、デジタル化してDVDに焼いています。フォーマットはビットレート24bit、サンプリングレートは192kHzです。

これは16bit、44,1KHzのCDをはるかに超える音質です。

ソフトは最終的に今のところ最高レベルの、「インターネット」の「SOUND IT!ノイズリダクションパック」です。

詳しくはブログの方で書いています。(本末転倒になってしまいました。)

電気との格闘 PC自作なんて・・・・・・・やめよう!?
1995年10月ころから、自作を始めました。
最新号は、2009年2月号! JAPANV と命名

 約13台目 製作開始

マザー: ASUS P5Q PRO
グラフィックボード: ATI RADEON HD4670
CPU:Core2Quad
RAM:DDR2 1G×2

なんと5万かかりませんでした。PCデポすごい!!

まず、ケースはお気に入りですから、使います。もう6年目です。


 Pentium4 DDRメモリーは、もう現行商品ではないので、マザーボードごとごっそり入れ替えることにしました。
 はずした部品類はハードオフで売却しようと思いましたが、ほとんど値が付かないので、サブマシンのグレードアップすることにしました。

 AGPボード、PCIボードを取り外します。

 水色の風車はGIGABYTE製の可変速クーラーでCPUの上に載っています。

 静電気に気をつけながら、配線をはずし、固定しているねじをはずし、マザーボードをゆっくり取り出します。

 干渉するものがなかったので、CPUもRAMメモリーもつけたままです。

 新しいマザーボード「P5Q PRO」に新しいCPUやRAMメモリーを装着し、念のためマニュアルを見ながら、配線をします。

 即、入れ替え仮組み完了。



 新しいマザーに必要最小限の配線をし、ブートドライブは話題のSSD(ソリッドステートドライブ)64Gバイト、なんと1万ちょっと。2.5インチATA接続なので変換コネクターを使います。

 このブートドライブSSDは、ミニノートなどに搭載されているもので、うちにもDELLのネットブック「インスパイロン」SSDがありまして、ブートドライブは8G。

 回転部分もなく比較的熱も持たなくて、動作も快適だったのでPCデポの日替わり特売で、格安で出ていたので購入したものです。

 (このSSDは、さんざん実験した後、快適だったのでSATAの128GSSDが、これまた特売の目玉になっていましたので購入し、起動ドライブを交換しました。)




 当初の64GBSSDはインターフェイスがATA・IDE2.5インチなので、変換アダプターで3.5インチIDEにします。

 色気のない箱に、スペックが印刷されたシールが張ってあるだけ。

 ほとんどノート用に使われるのでしょうが、プチフリーズとかが、話題となっていましたが、インスパイロンも、このSSDも絶好調。

 



  SSD64GををATA接続してみる。

 全く2.5インチのHDDと変わりがありません。 しかも無音無熱。

 ただ買取が、動作確認したうえで4000円でした。ハードオフで買取が千円だったかな・・

 当然PCデポで買い取って貰いました。ちょっともったいないと思いましたが、ノートPCに組み込む自信がなかったです。





 PCデポで997円安い!

 動作確認やデータ引越しでメインタワーに接続するときは必需品です。

 しかし、ほとんどがSATAに移行してきましたから活躍の場面も少なくなってきました。

 自作マシンは、時流に合わせてグレードアップしてゆく楽しみがあります。

 フラットケーブルの使用はFDDくらいになってきました。ATA時代はフラットケーブルの取り回しに苦労をしたものでした。



そして、これ!! 

フラットケーブルよ、さようなら。

これがあれば旧式ATAのドライブ類を新型のマザーに接続することも出来ます。

 うちで言えば、実験中のLinuxマシンに使用することが出来ます。

現在主流のS−ATA接続にする。


見事、仮組みが完成したら、OS、今回はXPのインストールです。

SSDは無音で、熱も持ちません。かつ高速!!

スルスルとSSDにXPがインストールされて行きます。


安定しているので、現在、各種アプリケーション、デバイスを追加中!!
2月11日、父の命日。

思えば、初代CPUは Pentium 75Mhz 19,800円でした。


電子ブロック、ゲルマニウムラジオ、シャープmzマイコン、NEC98、PCAT、そしてパソコン自作、本当のモバイルまで

 <序章 電気機器と私>

 なんてったって、私は「昆虫記」のファーブル先生や、ムツゴロウ大先生、京大霊長類研究室などに影響を受けた「生物屋」。

 そんなわたしでも、電気機器との触れ合いはあった。

 物心ついたときには、父が自宅内に電気仕掛けの鉄道模型を走らせていた。

 器用だった父は半田ごてを操り、いろいろな電気部品をコードでつないで部屋中に鉄道模型を走らせていた。

 私も「電気」には興味があったが、できあつらえを楽しむばかりで「半田ごて」はセンスがないのか、ついぞうまく着いたためしがなかった。

 「鉄道模型」の次に、父が持ち出した話は、確か「アマチュア無線」だった。

 資格を取るべく、テキストなんぞを読んだが、全く馴染めず、資格は取れなかった。

 「目に見えぬ電気」が理解できようもなく、「電子ブロック」なんぞも買い与えられたが、ものになったのは「ゲルマニウムラジオ」だけだった。

 電源を使わずラジオ放送を聴けることは新鮮な喜びだったが、「カブトムシやドジョウやザリガニ」の不思議さには敵いようもなかった。

 それでも、中学のころから読み始めていたファーブルや北杜夫や畑正憲の本は、いずれにしても、父の愛読書で、父の買ったものばかりだった。

 高校で習い始めた「物理」は、なおさら、ちんぷんかんぷんだった。それに比べ「生物、倫理、国語」などに、私は驚異的な・・・・・・センスを発揮した。

 そして、将来は北杜夫先生やムツゴロウ先生のような物書きになりたいと、本気で思っていた。


 話が脱線したが、じゃあなんで社会人になって「マイコン」なんぞを始めたのか?

 これも、結局、父の影響であった。

 大学では確かに電算室があり、そこにつめきりの連中がいたが、今思えば、工学部の連中でさえ、紙にパンチで穴を開けて電算機の資料(ソフト?)を作っていたから、コンピューターの黎明期だったに違いなく、「PCAT」なんて規格は世界に存在しなかったはずだ。

 じつは、理由は今もってよく分からないが、実家に帰省すると、父が「マイコン」を購入していた。

 確かに「電子計算機」という響きは、私の好奇心を刺激していた。

 つらつら思うに「住所録」や単車のツーリングクラブの「会員名簿」、その他「資料整理」に使えると考えた。

 「マイコン」として、最初に触れたのが、確かシャープ「mz400」。

 記憶媒体は、画期的な!市販の音楽用カセットテープ!!、CRT画面はテレビ!

 会員名簿を作るべく、数ページに渡る雑誌のプログラムを必死に入力したが、カセットテープから読み込み、プログラムを走らせると、画面には・・・・・

    シンタックスエラー、シンタックスエラー、シンタックスエラー・・・・・

 あちこちに打ち違いが出て・・・・まともに動かず・・・(T_T)

 落胆して、当分、

   「電算機」・・・・・(^^;)

には手をつけなかった。

「多機能電子卓上計算機」は研究結果の計算に使用していたが・・・・・

 しかし、世の中では、間違いなく「電算機」のダウンサイジングが進行して、「パーソナルコンピューター」という言葉が広まっていった。

 そして、ついに私も、中古ながら、個人用電算機、つまり「パーソナルコンピューター」を所有できる身分となった。

 NEC PC98シリーズである。

 これは画期的な機械だった。

 一世を風靡して、一気に「パーソナルコンピューター」を、文字通り個人の持ち物にした。

 NEC PC9800シリーズは、5台乗り継いだ。

 しかし、周辺機器を、知人の中古業者のガラクタの山から物色しているうちに、パソコンに

   「PCAT」

という規格があることを見つけ出した。

 これが分かると、パソコンを構成する物が、実に限られた部品で出来ていること、そして、汎用品が実に多いことが分かった。

 そして、ガラクタ部品を集めても、パソコンができてしまうことが分かった。

<電源>
<マザーボード>
<CPU>
<RAM>
<VGAカード>
<フロッピィドライブ>
<音源カード>
<光学ドライブ>


mother board
<マザーボード>

 最近のものは、VGAチップ、音源チップ、LANチップなどなど、はなから載っているものも増えてきた。

 「NEC PC98シリーズ」には日本語を表示するという強烈な強みがあったが、「PCAT」という規格品に比べると部品が高価で汎用性がなかった。

 そして、まもなく「PCAT」という、その規格に従って組み立てられた漢字メモリーのないパソコンでも、ソフト的に日本語など外国語を表示可能にする「DOS/V」というソフトが開発された。

 それまでパソコンで使用する日本語・漢字は、パソコンのハード上の漢字メモリーの中に搭載されていたのだ。

 世に Windows時代がやってきていて、ハードの違いを意識しないでソフトが使えることが、画期的なことだった。

 windows時代の幕開けとともに、世界中で部品の作られている「PCAT規格」の部品の安さに驚いた。

<PCAT互換機購入>
 ついに、ころあいを見計らって、国民機98を処分し、横浜ブランド「オーテック」のPCAT互換マシン「韋駄天」を購入した。

 格安部品を購入して、改造をはじめ、「PCAT互換機」の勘所を掴んで、自作を始めたのでした。

3.5”ドライブ










 当初は、部品についている英語のマニュアルに辟易したが、やがて使われている単語が限られていて、分かってしまえば簡単だった。

 そして、次々に安い部品を集めて、約12台製作。

 友人達に譲ったり、子供のパソコンを作ったりして現在に至ります。







<ここで閑話休題、コンピューター通信、屋外コンピューティング!>

 アメリカ人の友人もできました。

  自作PC改造記 (英語版 PC and MOBILE)工事中

 naviw2

 時代は、文章作成にワープロ専用機が必須条件となってきていたが、パソコンに馴染んできた私は、ワープロ専用機から、仕事用にノートパソコンを購入。
 
 「コンピューター」が持って歩けるようになったのは画期的だった。

 しかし、バッテリーの駆動の短さに辟易。

 実際に屋外で文章作成する必要性は、高くはなかったが、「通信」は「パソコン通信」の時代から「インターネット」の時代へ大きく進歩していた。

 屋外でメールをやり取りし、写真を編集して、送信する時代になりつつあった。

 PHSの待ち受け時間は長くは1週間に及んだが、いかんせん、ノートPCは、数十分の稼働でバッテリーアウト。

 可搬性に見合う駆動力を持たなかった。

 しかし、ノートパソコン3台目にして、目から鱗の、1・27Kg、7・5時間バッテリー駆動、かつ堅牢な「パナソニック レッツノート CF−W2」に出会う。

 PHSエッジカードで、そしてau携帯の通信環境へ移行する。


 サイドカーツーリング(二輪車の祭典、浅間ミーティングから信州へ!)の、「ナビゲーターマシン」として十二分にその性能を発揮しました。

 驚きの駆動時間です。(バッテリー設定は工場出荷時のもの)



 国道16号を北上するハーレーサイドカーにて!

 なんとノートパソコンが、普及し始めた自動車用のナビゲータの働きをするようになりました。

 単車モバイルPC・・・別ペ−ジで紹介しています。

 「スパイ大作戦」の世界、近未来の映画の世界は、まさに現実のものとなってきました。

「本当のモバイル」?までの道は、思えば遠かった。別ページで紹介します。


 

<昭和40年代 通信手段、お電話とは>

 通信手段、伝達手段とは・・・

 最近テレビでも、インディアンの通信手段「のろし」は見なくなった。

 私らが子供のころは、アメリカのアニメの定番だったが・・。

 私はクラシック音楽が好きですが、管楽器が古来、遠方の仲間との意思伝達手段から発達したことは有名ですよね。

 私が中学生になったころ、家に「お電話」が来た。

 黒光りするその物体は、自転車で20分もかかるところの家にいる友人との会話を可能にした!!
 
これが感動的な出来事だったことを知る世代は去ろうとしている。

 

<コンピューターと電話回線>

  インターネット以前、遥か昔(^^;)、遠方のコンピューター同士を繋ぐ方法として、電話回線が、すぐ着目された。アマチュア無線も使用されている。(ね、シマウマさん!!)

  当時は、まだNEC98が国民機になる前で、コンピューター仲間たちは、それぞれ全くメーカーの異なるパーソナルコンピューターを購入していた。

  それらパソコン同士を電話回線で接続することが、アメリカで流行っているらしいとの情報を得た私たちは、早速パソコンと電話を繋ぐ「モデム」という怪しげな機械を物色した。

  そして、300bps(ビット パー セカンド)という超高速(^^;)でパソコン通信を始めたのです。OS(オペレーティング システム)は人それぞれ別でした。私はMS−DOSを使い始めていました。

 当時のパソコン通信の状況を再現すると・・・

1 相手に電話をかける。「もしもし、パソコンとモデムのセットができましたから、今からこちらから、パソコンで電話をかけます。受信準備しておいてください。お願いします。」
 相手(お地蔵様)>「あいよー」
 電話を切る。

2 パソコンで電話をかける。
 パソコンが勝手にダイアルすることは驚異的感動でした。しかも、パルス回線!!
モデムがーピーポーとか電話で勝手に、パソコン同士でしゃべってます。

3 キータイプする。
 「kotira ha todo desu miemasuka? kirimasu.」(当然、日本語なんて通らない(^^;))  電話回線を切断する。

4 相手に電話をかける。
  私  :「もしもし、画面に出ました?」
  地蔵様:「おー出た出た!!! こちらはとどですとか、打っただろー」
  私  :「そうです! そうです! 見えましたか!! やったー万歳!!!」

てなもんでしたが・・・・人類で最初に電話で遠方と話したベルさんの感動、人類で始めて飛行したライト兄弟の感動を味わうことができました。(^^;)
    その後・・・(はしょる(^^;))OS2 Warpが簡単にインターネットを可能にし、初めてのアドレスを取得した。

 

<PCと携帯電話>

 現代。我が息子が中学に入ると、「持って歩けるお電話」が急速に普及し始めた。

 しかも異様に重たい高価なノート・・・PCが、無線の携帯電話でコンピューター回線接続が可能になった。スパイ大作戦の世界である。(^^;)

 

 (個体発生は、系統発生を繰り返す・・・精神史は人類史を繰り返すのではないかと、最近思ってます。)

 

<マルチメディア>

 デジタルカメラはまだ高価だった。

 

かわいいLV20

 高級デジタルカメラを買えない私は、CASIOのLV20、30万画素を実験的に使っていた。

 パソコンとの連携は、非常にグッドだったので、サービス版の写真程度の120万画素以上のデジカメを物色していた。

 そのうち、ついに「持って歩けるお電話」「フィルムのいらないデジタルカメラ」が付いた!!

 つまり、通信料金の安くなった「携帯お電話」に、CASIO初「124万画素のデジタルカメラ」付きが発売されたのです。

  PHSを主に仕事用に使い始めていたが、息子が携帯を使っていた。

  小生は、仕事のためだと思い切って、息子と同じ「au」の格段上位機種を購入した。その名はau携帯CASIO「A5401CA」!!

 

 勿論、小生はこの「CASIO」というメーカーにこだわりがある。

 実はヨーロッパへ行ったときスイスはジュネーブでも高級時計店で、「ROLEX」と並んで「CASIO」のデジタル腕時計が多数売られていた。

 

 

 東独へ行ったときも、土地の少年が、私を日本人と見ると寄って来て、誇らしげに、そのか細い手首を差し出した。

 そこにはガラスの割れた「CASIO」デジタル腕時計があった。

 あの少年達にも「CASIO」は夢と希望をもたらしているようだったのだ。私にとって「NIPPON」の「CASIO」なのです。

 今でも当時(20年近く前)の腕時計を私は使っています。(当時、家内にせがんで買った5千円弱のもの)驚いたことに、そのカレンダーは現在も曜日が狂わず表示しています。

カシオさん凄い!!



t2p4

<OSとの格闘>

 実は、神奈川県下で最初にwindows時代の幕開け的存在「WINDOWS V3.1」を自分のPC NEC98にインストールしたのは、小生であります。

日付は・・・あれ、資料が埋もれた・・・(^^;)

 そして(^^;)OS/2warp(これもなかなか良かったんですが)を使い、Win95と格闘し、NT40を入れ、win2000になり、PC台数に対してライセンスが不足して(使用約款には厳格です。何となれば技術者に敬意を払うからです。)、ついにXPとなり(高かった(T_T))、Linuxとなっています。

 勿論、併用もしているし、マルチブートもありあり、(虻蜂取らず(^_-))現在のノートPCも4代目であります。





VINE Linux 実験1号機 「YOKOHAMA」号> 2005年夏 試験運転終了

・定番 asus P/I55 T2P4 mother board(買取保障つきソフマップもの)
・AMD k6 233MHz
・RAM 96M(ほぼジャンク)
・MGA ミレンニアム(地蔵様に感謝のvga card!)
・DVDコンボドライブ(ジャンク)
・Sound Blaster awe64 ISA(音源)
・Realtek ネットワークカード(NIC)(ハードオフで100円!!)

の標準的構成(化石か(^^;))が、テクノバードの拡張性の高いスリムミドル(オーテックで購入)に入って、お気に入りのAT(^^;)マシンです。

 話題となったLinuxは平成10年頃から、一度やってみたいと思っていましたが、平成16年、PC仲間から、「CPUが233Mhzでも充分動く」と言われ(しんちゃんありがと(^_-))、寝かせていた先代のメインマシン(上述)を押入れから引っ張り出し、ドライブをDVDコンボに交換、BIOSで起動設定を変更し、雑誌の付録のDVDからブート、VINE Linuxを入れてみてびっくり。

 GUIで美しく、かつ簡単にインストールでき、AMDアスロン1600+ +XPに比べ、遜色なく動いてしまったのです。


 我が家も、自作マシン群(とうとう2台にリストラ)、子供の教材パソコン(HITACHI FLORA)も加わり、OSのライセンスが不足したので、格安のLinuxパソコンを整備すべく、早速、動作試験に入りました。

 ところが!! ネットサーフィン、メーラーも全く問題なし。

 オフィスのstar suite 7を動作確認中です。

 後ほど詳述したいと思っていますが(かなりの互換性ありのようです)。

homepc

<音響&コンピューター実験室>(^^;)

 ADSLにルーターハブをかまして、家族でそれぞれインターネットが可能になった。

 右のノートは調整中の父の導入機。(父ちゃんは75歳、初めてパソコンを手にします。立派!!)

  ノートPCがメンテナンスのため「ドック入り」すると、この位置に鎮座する。

  メインマシンは「JAPAN」(XP)、サブマシンは「YOKOHAMA」(Linux)と命名していました。 



homepc2

 実は、この後、リナックスマシンが仕事のため、VHSデッキと置き換わり(写真右)、またモデムがIP電話対応となりましたが、アクセスカウンターの出ない連絡が多数きました。

 そこで、アクセスカウンター等の表示の確認のためリナックスマシンを足元へ起き、運用テストを再開したところ、モジラブラウザで見事にカウンターは表示されているじゃありませんか。

 参照した「できる・・・」の文法ミスと疑っていましたが、やっぱり「できる・・・」!・・・じゃ、なんで、XPや2kじゃ表示できないの?

  6月28日、解答はFAQの中にありました。セキュリティーソフトをオフにしたら、簡単に表示してしまいました・・・・んじゃセキュリティーはどうなんの(^^;) それも後日解決することになります。

 とある特定のセキュリティーソフトだけの症状でした。

 セキュリティーソフトを入れ替えて解決。フリーソフトとの「AVG」なんてのも使ってみました。これもなかなか優れものでした。



<OS!OS!>

 ちっとも自作のハードのうんちくの話になりませんが、なんといっても、自作の醍醐味は自分の好きなキーボードやマウスなど「ヒューマンインターフェース」をこだわれるところにもあります。

 んーと、うちは「ヒューマンインターフェイス」としては、上の写真のとおりキーボードはマイクロソフトのものが3千円台であったので購入、マウスもマイクロソフトの光学コードレスインテリマウス5千円台。

 しかし、ここまで来るのに、紆余曲折が有りましてキーボードは10枚以上、マウスに至っては、他のポインティングデバイスを含め20個近くを使用してきました。

 そして1、230円のAOpenのマルチメディアキーボードを購入しタッチなど動作試験をしたりしていました。

 同時に妹から依頼されたノートをヤマダ電機で調達し、2Kお試し版のインストールをしたとです。

 windows95、NTが全盛のころ雑誌の付録で付いてきたもので日立FLORAノートに順調に入って行きます。

 よっぽど「Vine Linux 3.1」と「Open office」をインストールしてやり、動作試験の片棒を担がせてやろうかと思いましたが、仕事で使用するということで標準的に2Kでとりあえず入れることにしました。

(しかし、実際は最初にインストールしたのは「Vine Linux 3.0」で日立ノートでもバリバリに動きました。

 「Vine Linux 3.0」では、セレロン400で充分快適でした。

 音源もグラフィックボードも自動認識します。流石「日立FLORA」これで27000円は、用途から考えると安い投資でしょう。

 裏面には「270SX−13」の表記がありました。)

 続いては、息子の教材パソコン「日立FLORA」のHDDが吹っ飛んだので、HDDドライブを中古で調達し、WIN2Kの再インストールしました。

 インストールを完了すると宅内LANからインターネットに即アクセス利用できるようになりますが、オンラインUPDATEをすると、LANがいつも切れます。

 重要な更新以外のインストールで、えっとなんだったっけ(^^;) なんか入れるとこけます。

 すっぴんのマシンにOSをインストールするときが一番楽しいひと時のうちのひとつです。

 この時も3台同時にやりました。(^_^)v

 セカンドマシン「YOKOHAMA」の「Vine Linux 3.1」にも、ついに「Star Suite 7」が入りました。

 winマシンのOFFICEでフロッピイに保存し、持ってきてVine Linux「Star Suite 7」で読み込んでやると、きれいに表示されました。(^_^)


平成16年6月20日、晴

 CASIOさん御免なさい。壊しました。(^^;)そして、また、売り上げに協力してしまいました。お気に入りだった「A5401CA」は、一足先に海水浴して・・・(^^;)私の手元には、5日後に後継機「A5401CAU」が来ることになりました。(^^)V

 そうなんです。遭難です(^^;)みちのくツーリングの前に、サイトの実況中継のため、準備実験をしている時のハプニングでした。東京湾の唯一の自然島「猿島」おいて、屋外からのサイトのアップの通信実験中、携帯が「海水浴」したのでした。

 写真は生き残りましたが。しかし流石CASIOです!!通信も可能でしたが、インジケーターが点灯したままになって、ショップへ持込むとアウトでした。

 しこうして、みちのくには、新型携帯と、「それは水に弱い・・(^^;」)と学習した私がタッグを組むことになったのです。(^^;)

(実は、後日、魔法を使ってこのインゴットシルバーのお気に入りau携帯電話A5401CAは復活します(^_^)v)

平成16年6月24日(木)快晴  

 昨年同期に比し、日照量3倍、しかし降雨量も三倍。これで良いのだ(^^;)

  お騒がせしたメインマシン「JAPAN」号の熱暴走の理由が判明した。
 当実験室のコンピューターは毎年梅雨の時期に故障する。

 これは、繊細な電子回路に湿度が影響するらしい。

 今回の、異常暴走・・・メーラーのフリーズ、画像の処理の際の異常動作は・・・・・CPUの熱暴走のせいだったようです。

 なんとなれば、Linuxマシン「YOKOHAMA」にインターネットを切り替え、メイン「JAPAN」号の電源を落として、発熱場所を確認、調べたところ、ヒートシンクの上に湿気で固まったホコリ虫が約5ミリも積もって膜状になっており、ヒートシンクが放熱できていなかったことが判明しました。

 サイト更新作業中断です。 ヒートシンクを外して、きれいに掃除しようとしましたが、どうにもこうにも体勢が悪く、力が入らずうまく外せなかったので面倒くさくなり、ファンを取り外して掃除しました。今現在、試験運転20分。異常なし。

 しかし、後2時間は様子を見なければなりません。思えば、CPU386DX4 100MHzもCPUの上で目玉焼きが出来そうに加熱しましたが、(当時はヒートシンクのみ装着が普通)その10倍のクロック性能のマシンを動かしているのは感慨深い(^^;)電源部も結構熱くなっていましたが、今のところ、温かい程度。冬場には充分暖房になるこの機械群。熱対策はいつも変わりませんね。

梅雨、大敵でしょう。

 XPメインPCダウンしたら(基本的にしない?)Linuxで同じことが出来るか?とか、瞬間的に、切り替えてやってみるのです。

 現在のウェブサイト更新テスト環境は、メインPC「JAPAN」で編集し、インターネットにアップして、LinuxPCでブラウズしています。

キーボード、マウス、ディスプレー、ネットは共用で、マシンを切り替えてアップし、切り替えてブラウジングしています。

(^o^)/~~~~~

平成16年6月27日(土)晴れ 

しかし、あのジャストシステムのメーラーは素晴らしい!!リリース2になりましたが、いよいよ毎日100回は使用しています。(^^;)


 うちには、サードPC、ノートがあります。もちろん自作ではないのですが、バッテリー駆動で5時間動くので屋外での活動で使用しています。屋外でメールの送受信やネット検索ができます。

 しかし大変なことになった・・auさんが、通信料金、3万円請求してきたから・・・・

(原因調査中でしたが、どうやら野原の真ん中でやった「W2リカバリー大実験」が、災いしたようです。そうです。旅行中でのシステムダウンに備えて、野原の真ん中で、ハードドライブまっさらにして、リカバリーしてみたのです。パケット通信でアップデートして・・・・・)それにしても、通信料が合わないのよね(^^;)1パケットって何バイトだったっけ?・・・・・・・(^^;)

平成16年8月8日(日)曇り 

 実況中継やりました。東北ツアー伊豆大島からAC電源なしで走りながら「サイト」のアップデートしました。「W2」+「au A5401CAU」万歳です。その一方で自宅のメインマシン・XP、ダウンしましたが(^^;)

平成16年9月4日(土)雨 Linuxマシン

この間の進展ですが、まず「リナックス」でしょう。「SUSE LINUX 9.1」(スーゼ)と「VINE LINUX 3.0」の動作試験を軽くやりまして掲示板に速報出していました。(掲示板参照)

 わらしは、下記のT2P4マザーに「Vine Linuxで」充分だと思っていたのですが、サイトのアップデートして「Vine」でモニターしているうちに欲が出てきました。

 また、「MATROXミレンニアム」の表示が800×600で、動作は快適なのですが、液晶のモニターが1280×1024を要求して注意表示が出てしまうのです。(NEC三菱のRDT176S)

 EXITボタンを押せば消えるのですが、試しにメインマシンに「Vine Linux」入れたところ、1280×1024表示が非常に美しい!!

 そこで意を決して、サブマシンのVGAカードを交換し1280×1024表示にすることにしたのです。

 購入したPCI・VGAカードはAopenのGeFORCEMX4000!!
 (箱にLinux compatibleの表示が有ります。)
 ところがVineが正規に認識してくれません(^^;)

 そこで、他のLinuxOSの動作試験となったわけです。

 今やOSによるハードの自動認識はLinuxでも標準装備。

 見事にOSインストールで自動認識されましたが、今ひとつ発色に納得いかずドライバーを物色することに・・・・・(^^;)

「SUSE LINUX」NOVELL JAPANが売り出しますが、いーですよ。なかなか(^_-)-☆ MIKEさんスペイン語で使いましょう!!流石欧州を席巻しているだけのことはあります。HDD入れ替えては(フロントアクセスベイから)起動して喜んでます。

平成16年11月11日(木)曇りのち雨 

 えっと、PCとの格闘、佳境に入り増殖を停止しました。

 「MSWIN」と「LINUX」を比較することが、HTMLをやっているうちに実に個人としては馬鹿げたことだということにやっと気付きました。

 つまり、ハードもソフトも文明という時間の中に生きていて、世代交代を繰り返し、一個人が網羅しうるべきものではないと発見しました。

 いわゆる安定志向でございます。m(_ _)m

 寝る間を惜しんで、時間を費やし、OSと格闘してみても、人さまのお役に立ちそうな内容には至ることができない・・・・ことにしました。

 人類は、いにしえより「石」や「火」などを有効な道具として活用し続けてきましたが、それ自体を「分析」する必要はなかった。

 やがて、交易から「文字」を得て「文化」、「科学」を生業とする者達が現れた。そして「コンピューター」が道具として現れて、それ自体を動かす「OS」が地球の標準化、グローバル化をもたらした。

 WinでもマックでもLinuxでもいーじゃないか。間違いなく「文明」は「人類」を豊かにしたのだから。さらに言えば、手段を選ばず、世界を平和にすれば良い。
 ゲイツ青年(MSの)だって、リーナス青年(Linuxの)だって地球のために力を貸してきたのだから、素直に笑って最後は「個体」としてはグッドバイ。m(_ _)m

 「心」が「地球」を感じるのではなく、「心」が「宇宙」を自分で描いているのだから。

平成16年12月28日(月)晴れ 

 この間の進展ですが、メインマシン「JAPAN」が、バースト起こしまして、家族の年賀状印刷が、サードカー・・ノートPC「CF−W2」により完成されました。

 「JAPAN」はコンデンサーがいかれたようで、ぼうまんしており液漏れも見えた。そのせいか、突如画面がブラックアウトして、焦げ臭くなり慌てて、電源断して、「エース」へ持ち込みました。

 AMD CPU・・・・・・燃えてました(T_T)

 それでマザーボード交換とあいなった次第で御座います。m(_ _)m 
 
 

<CPUファン交換のはずが、マザーごとCPUの交換に!?>

 平成16年末 自作メインタワーPC「JAPAN」は燃えた!!

 平成16年6月、精神的ゆとりができた(開き直った?)ので、念願のホームページを立ち上げたが、時間の経過とともに「メモ帳」でタグを打って編集しているのが段々億劫になっていった。

 そんでもって、お金もないのにHTMLエディターを物色することになった。

 書店へ行っても定番は「ホームページビルダー8」しかし、1万円する(T_T)

 検討を重ねた結果、ジャングルソフトの「ホームページ製作王6」がお買い得で、良さそうだ。
 それで買ってしまった。

 「とどラボの使用基準」は、如何にマニュアルを見ないでできるか〜という無謀な基準である。

 しかし、あーた、原点に返ると・・・・・車運転するのにマニュアル見ながら運転しないでしょ。

 文明は、WINDOWSを作り出した!! ソフトを選ばず操作は標準仕様!!

 で、「ホームページ製作王6」で「ウェブサイト」を軽快に更新していた。

  ページもどんどん追加された。

  そしたら、重くなってきた。こりゃーRAMメモリーだと考え、256M追加して、512Mとした。

  しかし、甘かった。多少使い勝手がよくなっても・・・重い!全頁読み込もうとすると固まる始末。

  しかもCPUファンがガーと異音を発するようになっていた。
  じゃーCPU交換だ!と、マザーとCPUを交換する算段をした。

  リンクで紹介しているパソコンリサイクルショップ「エース」で下取りしてもらって、2倍強のパフォーマンスに25000円でできることが判明した。

  しかーし、 やはり年末でもあり、そんな余裕は出てこなかった。

  取り敢えず、異音を発しているCPUファンを交換してしのぐことにした。

  「エース」で、GIGABYTE製の可変ファンを購入してあった。

  アスロンXP、アスロン64、PEN4にも対応する優れものであった。

  しかし、ことはそれでは済まなかった。

  オンボードチップのクーラーファンも停止しており、指で動かしてやるとぎこちなく動き始める有様。


何かの焼けるにおいとともにブラックアウトした!!


煙が噴出し、CPUがお釈迦様になりました。



 4個のコンデンサーが膨らみ液漏れを起こしていて、オンボードチップのクーラーファンが停止していた。

  寿命だ。

  マザーの寿命だったんだ?





 「エース」(閉店)で診断される「JAPAN」です。

 お気に入りのタワーケースで拡張性が魅力です。


 「エース」では、様々な復旧方法を提案してくれました。
 
 曰く、

 ・ 安く同程度のマシンに組みなおす・・・

 ・ ややパワーアップする・・・

 ・ この際思い切って投資する・・・・

など、中古部品から新古品、新品まで色々なバリエーションを提案してくれました。

情報量のなせる業です。すばらしい顧客対応!!


 


 自作メインタワー「JAPAN」号が修理の間、接続されたコード類が、うつろにデスク上をのたうち回った。

 しかし、サブマシンIBM「YOKOHAMAU」が代役を果たす。

 OSは「Vine Linux 3.1」である。

 PENU300Mhzでも動作は軽快である。

 ブラウザやメーラーはこのような緊急時に備えて設定してあった。

 マシン自体はデスクの下に控えており、これが本当の縁の下の力持ち。

 ASUS P/I55 T2P4の保障外動作 AMD K6 233Mhzよりも明らかに軽快に動作しています。


 間もなく、「エース」のパワーで、PEN4 2.4CGHZのCPUを搭載し、メインマシンが復旧する。

 勿論、部品を調達頂いたら自分で組み直すんですが。

 組んで貰うと5000円です。







<マザーボード・CPU交換> 

今度のマザーボードは、先代AOPEN AK77Plus(これも気に入っていたのですが)と違い、オンボードでLAN、音源が有ります。

 これらだけでも2枚のPCIバスカードが不要となります。

 しかし、音にはこだわりがありますから、取り敢えず、マザーを交換して、PCIの基本構成は変更せず、XPにハード構成を認識させてみました。

 結果はだめで起動しませんでした。

 メモリーエラー、IOエラーとなります。

     何でじゃ!!        実は当然です。

  しょうがない、ハードを最低限にしてwindowsXPのインストールし直しです。

 問題は3年間使い続けてきた環境をどの程度、継承できるかということで・・・・・・・


 マザーボードにHDD(ハードディスクドライブ)を接続すると、XPの再インストール、ライセンス再認証となります。

 こんなとき、「垢」は落としたいが、環境は変えたくない。

 これがユーザーの本音でしょう。自作PCですから、当然リカバリーディスクはない。組み込まれている様々なソフトを、如何に手間かけずに、元の状態に戻すか!!

 結論から言うと、できませんでした。   当然です・・・・

 結局、ちまちまと必要なソフトから、ハードに至るまで動作確認をしながらインストールすることになりました。

 自作の多機能であるが故の苦労です。

 ま、楽しみながらやって行こうという事にしました。それにしてもPEN4 2.4Ghz(Intel ペンティアム4)は軽快です!!

平成17年正月8日(土)曇 

 お日記を書きまする。男もすなるニキというものを、女の私もしてみんとてするなり。紀貫之はオカマか!!

 昨年末、諸事多忙、当研究室「赤字」につき、アスロンXP1600+は、更新の予定でなかった。

  しかーし!マザーがお釈迦になって、更新せざるを得なくなった。

  あーた、CPUの更新、即ち、マザーの更新がいくらばかりの手間がかかるか(T_T)

 私は、私は・・・貴方から旅立ちーますー。(あずさ2号でした)

 えっと、自作マシンの場合、リカバリーディスクなんて重宝なものはございません。
 頼みの綱は完璧なハードの構成と、傷のない、サラのインストールCDで御座います。

 そして、インストールされる「ソフト群」のプロダクトIDとか、パスワード、シリアルナンバーの一覧表で御座います。

 *んキン田虫では御座いません。

 このOSを含むソフト群のインストールが大変な作業で御座います。

 しかし、今時のマシンは、マザーボードとRAMメモリー、VGAカード、ハードドライブ、CDドライブがあれば、あなた!OSがかるーくほっぽいといても、インストールできます。

 パワーがあれば、あっという間に・・・・「へ」こいてる間に終わります。すごいですね。そんでXPのばやい、ライセンス認証が御座います。天下のマイクロソフトのおねー様方は、大分紳士的でない、親父どもにいじめられているのか、私が紳士的に応対しますと、安堵感がひしひしと伝わってきます。

 当初、申し上げたように、ガラクタ集めて自作を始めたころは、OSのインストールはフロッピィディスクでした。それも・・・・何枚も入れ替えました。再インストールなんて言ったら、あーた、徹夜で御座いました。

 んで、今回のXPのインストール。

  CDブートしました。はい、簡単ですね、起動の時「DEL」キー押してると、はい!「BIOS」画面に入ります。

  まあ!いやらしいですね。英語が出てきますね、これは最小限の英語で御座います。

  最近は「日本語」のもの有りますね。すごいですね。ほんとにすごいですね。BIOS日本語です。信じられませんね。

  さ、そろそろ時間ですね。いやーほんとに自作っていいですね。もうやめましょう。それでは、さよなら、さよなら、さよなら。

平成17年正月15日(雨) 

 「JAPANU」の基本構成で動作が安定しているので、CPUチェンジャーを復活し、Linuxマシン「YOKOHAMAU」(IBM、PENU、300Mhz)を接続。

 動作試験に入りました。

 「Vine Linux 3.0」のホームページで3.1にUPDATEするようアナウンスが出ていましたので、表記どおりUPDATEしました。

 このスペックでもnVidiaのVGAカード入れているせいか動作は快適です。

平成18年正月元旦(日曜) 天気晴れ  CPU、マザー更新して1年!! 絶好調◎

 苦労して入れなおしたソフト群で、「JAPANU」のハードの運行は順調だった。

 そして、年末になると、ボーナスのこずかいでスケベ心を出して、ハードの更新をすることを・・・・・今年はやめた。

 なんとなれば、年賀状シーズンにマシンが不調になり、今まで、毎回家族のヒンシュクを買ってきたからだ。

 同じ失敗は繰り返さない。そして絶好調のマシンで、数百枚の家族の年賀状の印刷を一日かからず、HPのアップデート、ブログの書き込み、DVDの編集焼きこみなどいろいろをしながら、難なく終えた。

 しかも、この一年の間に、「ノートンゴースト」を導入して、まさかに備えるべく、完全にインストールを完了した時点で、イメージファイルのバックアップを終えてありました。

 これで、CPU、HDDが死んでも比較的簡単に、環境を復活できるようになりました。

 しかーし!! バックアップはDVD10枚に及び〜たまげました。

 現在、DVD−RAM五倍速、2連装となっております。

トップページへ