佐 渡 法 華 宗 諸 山

佐渡法華宗諸山

佐渡金北山妙見山を望む:下図拡大図

 

2007/04/22追加:近世の佐渡法華宗寺院の全容はほぼ以下のようであったと思われる。

注)◆番号.・・・・◆内は「佐渡国寺社境内案内帳」宝暦(1751-)頃の成立 から抜粋

阿仏房妙宣寺

阿仏房妙宣寺五重塔:重文

阿仏房妙宣寺五重塔1:左図拡大図
阿仏房妙宣寺五重塔2
阿仏房妙宣寺五重塔3
阿仏房妙宣寺五重塔4
阿仏房妙宣寺五重塔5
阿仏房妙宣寺五重塔6
阿仏房妙宣寺五重塔7
阿仏房妙宣寺五重塔8
阿仏房妙宣寺五重塔9
阿仏房妙宣寺五重塔10

文政8年(1825)完工、一辺3.6m、高さ約 24m
近世坂東風(江戸趣味)な色彩の強い塔であろう。

吉田初三郎(佐渡島):妙宣寺五重塔が描かれる。

2012/06/10追加:「Y」氏ご提供画像
 佐渡真野村阿仏房五重塔:絵葉書、大正7年〜昭和7年頃(「Y」氏推定)
2012/07/02追加:
 阿仏房妙宣寺五重塔:絵葉書、作成 年代不詳

阿仏房妙宣寺概要

・「明細帳」 本山
由緒 開基阿仏坊日得は順徳上皇供奉の北面にて遠藤左衛門尉為盛と称し、文永8年・・日蓮上人の弟子と成て、
2世日満は為盛の長子・・・当時は初め・・新保村に草創のところ、嘉暦年中領主本間山城守入道の命によりて竹田村へ移転
天正16年本間氏滅亡、天正17年上杉景勝より本間氏居城の地を賜る。
弘安元年より阿仏坊と称し来りして天正17年当寺号に改む。元禄7年竹田村より分村して阿仏坊村と号す。
寛文11年、身延池上中山の三ヶ寺にて36ヶ月にて輪番持ちとなる。
安政4年本堂祖師堂等焼失、文久2年本堂再建、明治12年祖師堂再建
堂宇 本堂、庫裏、玄関、階楼、廊下、山門、仁王門、宝蔵、土蔵、納屋2、祖師堂、妙見堂、感応堂、五重塔 境内 4049坪
・「寺社帳」
末寺9ヶ寺のほか奥州会津に久福寺といふ末寺あり
寺家 正行院、大円院、中正院、本立坊(今皆廃す)
・「日蓮宗の本山めぐり」:
本堂:12間四面、庫裏:8間×20間、祖師堂:8間四面、
五重塔:相川の中川金蔵等によって、30年の歳月をかけて、文政8年(1825)に完成。
 妙宣寺本堂・庫裏  妙宣寺本堂・祖師堂  妙宣寺仁王門
◆18.雑太郡阿仏坊村:当寺身延、池上、中山三ヶ寺輪番所・・・境内4町4反8畝歩、米2石7斗2升4合6勺、反歩3畝3歩。
寺家 正行院、大円院、中正院、
    本立坊:嘉暦年中新保村より引き遷りの節、此の所に本坊を建立、依って本立坊と云ふ、・・・開基日祐、寛文11年遷化。
妙宣寺末寺:
 相川上寺町樋道
  一乗山妙法寺:開基恵照(性)院日遊、寛永元年建立、宝永4年再建立、当寺阿仏坊触頭・・・境内2反6畝2歩。
 相川五郎左衛門町
  光得山円行寺:開基円行院日進、寛永元年建立・・享保19年再建立、・・境内3畝20歩。
 相川中寺町字大沢
  得栄山善行寺:本山13世日遵開基・・・享保19年再建立、・・境内3反2畝歩。
 相川治助町
  妙法山覚性寺:開基覚性房日儀、寛永7年・・建立、・・町屋敷7間に32間。
 雑太郡目黒町
  長慶(目黒)山妙満寺:開基延文2年と寺社帳に云ふ、一説に本山第2世日満上人開基とも云、境内3反3畝22歩、米・・・
 雑太郡目黒町村
  日要山法宣寺:開基寛正元年と寺社帳に有之、一説に寛文9年本山12世日秀上人開基とも云ふ、境内1反2畝18歩。
 雑太郡本屋敷村
  法華山妙光寺:開基天文3年妙光院日要上人建立、・・境内6畝12歩。
 雑太郡新町村
  仰経山円浄寺:開基寛永8年、一説に仝17年本山日高上人開基と云ふ、初め竹田村に建立、享保9年新町へ遷す。
 雑太郡竹田村
  智徳山了円寺:開基天正2年本山9世日定上人、享保14年焼失、今の地え遷す。◆

2024/01/09追加:
◆壽量院日遣
真偽の程が不明であるが、壽量院日遣について、佐渡もしくは阿仏房妙宣寺に関係して次のように語られるので、備忘として追記する。
「房総禁制宗門史」加川治良、国書刊行会、昭和52年 では
松崎談林顕実寺も水戸藩より24石を受けていたが、14世日遣は寺領を返還し学徒笈を負いて出寺し、寺は荒廃する。
(松崎檀林の)壽量院日遣は佐渡阿仏房を経て松崎談林能化、安興寺18世を踏んで、身池対論にも署名している代表的な不受不施僧である。
 ※以上では、日遣は佐渡阿仏房から松崎檀林に晋んだように語られる。
また、「多古町史 上巻」885〜 では
松崎檀林(顕実寺)十四世寿量院日遣は禁制の不受不施派であったため佐渡へ流刑となり、檀林は閉されて学徒は去り、寺領も失う。
 ※以上では、日遣は佐渡流罪となると語られる。
手許に「佐渡の五重塔 日蓮宗妙宣寺五重塔の歴史」児玉信雄、2016 があり、概括すると、本著は下総飯高檀林や不受不施派の歴史も一章を設け、佐渡の日蓮宗寺院は基本的に不受不施である認識を貫く立場であるが、日遣に関する記述はないようである。

塚原根本寺

「明細帳」 本山
堂宇 本堂、庫裏、廊下、書院、太鼓堂、鐘楼、仁王門、二天門、宝蔵、経蔵、土蔵、納屋
    祖師堂、妙見堂、千仏堂、三昧堂、鬼子母神堂  境内 1963坪
「寺社帳」
文永8年(1271)日蓮上人三昧堂を開創 ※日蓮上人佐渡配流の最初の地であった。
永禄年中(1558-)8世日成上人、三昧堂を改めて正教寺を建立
天正15年(1587)京都妙覚寺日典上人(妙覚寺18世・日奥上人の師)渡海、根本寺を開基する。(11世)
元和元年(1615)本寺となる。(京都妙覚寺が末寺扱いをしたため、寺社奉行に出訴、この命ある)
寛文11年(1671)身延池上中山三ヶ寺輪番所に定む。
末寺 相川 法久寺・妙輪寺、松ヶ崎 本行寺、二宮村一野沢 実相寺
「日蓮宗の本山めぐり」:
日蓮上人最初の佐渡鏑居地で、塚原の地は屍陀林(死人の捨て場所)であった。
ここで佐渡最初の帰依者阿仏房を得る。塚原問答が行われる。「開目鈔」を撰述する。
寺域15000坪
◆19.加茂郡大野村:当寺身延、池上、中山三ヶ寺輪番所・・・
当村に正教寺と云一寺を建立、天正15年京都妙覚寺日典上人渡海、当村に根本寺と云一寺を開基するとも云ふ、寛文3年不受不施再乱に及び、右両寺を一寺にして根本寺を相続す、・・・・寛文4年寺社奉行所の御書付に塚原正教寺と云ふ寺号あり、寛文6年・仝9年京都妙覚寺末寺改めに根本寺と云ふ寺号あり、仝11年塚原正教寺、仝根本寺、御松法性寺、仝実相寺、各々両寺一寺にして・・・塚原は三ヶ所輪番に定と云御書付に有之、・・・此の年より両寺一寺に相改むと相見へ申候、相川法休寺を法久寺に改、妙蓮寺を妙輪寺と改、松ヶ崎本行寺、一の谷実相寺、京都妙覚寺末を塚原末と改候由、慶長2年大泉房建立、祖師堂は仝12年備前国祐白(夕白)建立、宝暦13年再建立、・・・慈性院日仙千仏堂正保4年、本堂・方丈は元禄年中日行上人建立、境内6町5反9畝6歩・・・・
根本寺々家 延能院 円妙坊 守悦坊 円悦坊
根本寺末寺:
 相川中寺町
  光栄山瑞仙寺:開基寛永元年・・・当寺根本寺末の触頭・・・境内3反6畝12歩。
 相川中寺町
  妙躰寺:本山12世日郷上人在住、寛永2年開基感応院日交・・元禄12年再建立、境内3畝29歩・・・
 相川上寺町字境沢
  妙燿山法久寺:開基日貞、元和8年・・建立、寛永6年境沢に遷す(法休寺)、当寺妙覚寺末、寛文11年根本寺末になる、
  此の節法久寺と書改る、先年は円乗院と云ふ寺家有之、貞享元年・元禄10年両度再建、境内3反6畝12歩。
   現在は妙輪寺と合併し佐渡相川法輪寺となる。下に掲載の★佐渡相川法輪寺を参照。
 相川上寺町字稗畑
  法栄山妙伝寺:開基慶長9年日清(丹)といふ僧摂州より渡海、上相川岩崎町に法華堂を結ぶ、能州妙成寺末、
  寛永6年今の妙法寺の上に遷す、寺山号を改め根本寺末となる、・・享保2年今の地へ遷す、此所南沢妙円寺もとの境内・・・
 相川下寺町
  覚鷲山妙輪寺:開基大乗院日達、慶長年中建立、・・寺号を妙蓮寺と云、京都妙覚寺末、寛文11年妙輪寺と改、根本寺末に成る、
  元禄年中再建立、寛保元年本堂、諸尊、仏具残らず焼失、延享5年建立、番神堂は明和2年再建立、境内1反5畝歩。
    現在は法休寺と合併し佐渡相川法輪寺となる。下に掲載の★佐渡相川法輪寺を参照。
     → 開基大乗院日達は「安芸國前寺」中にあり。
 相川町下山之神
  法栄山法泉寺:開基寛永元年栴(梅)檀院日行五十里村に建立、・・・
 雑太郡一ノ谷村
  御松山実相寺
 羽茂郡松ヶ崎村
  松崎山本行寺
 加茂郡湊町
  東光山妙法寺:開基日慶、本山12世日郷上人在住にて寛永14年建立、・・・境内1反7畝歩・・。
 加茂郡下新穂村
  経王山妙蓮寺:開基応永3年、境内6畝2歩。
 加茂郡大野村
  宗種山日仁寺:寛永元年本山境内に建立、仝15年今の地に再建立、境内1反2畝1歩。◆

2023/04/20追加:
★佐渡相川法輪寺
相川法輪寺は昭和17年相川上寺町字境沢:妙燿山法久寺と相川下寺町:覚鷲山妙輪寺が合併し発足する。
○「日蓮宗寺院大鑑」池上本門寺、昭和56年 より
覚鷲山、塚原根本寺末。
「大観」には「慶長9年(1604)大乗院日達の創立」とある。
2023/04/20追加:
〇「Wikipedia」 より
 佐渡相川法輪寺
佐渡市相川下寺町にある。
久栄山と号す、塚原根本寺末。
慶長9年(1604)大乗院日達の開創。
寛永7年(1630)法久寺が創建、開山は妙耀院(仏性院・安国院か?)日奥(京都妙覚寺18世)。
明治32年(1899)妙輪寺が明治維新の廃仏で廃絶していた円徳寺(究竟院日禎が開山、開創年未詳)の跡地に移転。
昭和17年(1942)火災により焼失した法久寺が妙輪寺と合併した。
2023/04/20追加:
〇「佐渡の国 日蓮宗 久栄山 法輪寺」 より
 【味方家一族の菩提所】
慶長9年(1604)大乗院日達妙輪寺開創
寛永7年(1630)京都妙覚寺18世妙耀院日奥、法久寺開創。
明治32年(1899)妙輪寺、円徳寺(究竟院日禎開山)跡地に移転。※円徳寺は日庭が謫居する。
昭和17年(1942)法久寺が火災により焼失、妙輪寺に合併、智中院日東を初祖として法輪寺となる。

★一ノ谷妙照寺

「明細帳」 小本山
文永9年(1272)4月より文永11年3月まで、日蓮上人鏑居の地であった。(「観心本尊鈔」を著す)
建治元年(1275)2世日静上人、身延日蓮上人から寺号を授かる。
堂宇 本堂、庫裏、接待、鐘楼、仁王門、宝蔵、経蔵、土蔵、納屋、祖師堂、妙見堂、七面堂  境内 1973坪
「寺社帳」 寺家2ヶ寺
◆22.雑太郡一ノ谷村:身延山久遠寺支配所、文永9年祖師塚原より一の谷へ移り、地頭近藤伊予守清久預り、伊予守夫婦、嫡子中興次郎、各々宗門を改、宅地に庵を建て祖師を移し、文永11年鎌倉よりの赦免状到来・・弟子学乗坊日静を当寺に残し、宗門を弘通、・・寛正年中焼失、・・往古は12坊有之、・・境内5町5反8畝24歩・・・
妙照寺々家 松寿院 利性院
妙照寺末寺:
 相川町南沢
  長光山妙円寺:開基久成院日実、・・・享保2年当時の地へ遷す、妙照寺の触頭・・・
 雑太郡二宮村
  常信寺:開基本山日誘上人寛永5年に建立、境内2反8畝歩。
 雑太郡一ノ谷村
  清久山蓮周寺:(記事なし)◆

★市野沢(一の谷)実相寺

「明細帳」 根本寺末(今久遠寺末)
由緒 初め方2間の庵を設けて日蓮を開山とす、正安3年日心堂宇を創立して之を開基とす
堂宇 本堂、庫裏、回楼、鐘楼、仁王門、屋根門、宝蔵、土蔵、納屋、祖師堂、妙見堂 境内 1725坪
◆20.雑太郡一ノ谷村、大野村根本寺末、開基文永9年より仝11年まで祖師一ノ谷に住居の折、毎朝於当山に、日天子を拝し給ふ、松ノ枝に袈裟を掛く、・・・当寺応永年中に焼失し延徳年中に建立、往古は当村に法性寺と云ふ一宇あり、各々京都妙覚寺末にて、後寛文11年両寺を一寺にして実相寺相続、根本寺末に改、境内7反4畝26歩・・・。◆

佐渡法華堂妙経寺

「明細帳」 久遠寺末
文永9年創立、開基は次郎入道信重、・・・塚原に集り法論の時、次郎重信・・・念仏宗を捨て改めて宗祖の檀那となる・・・
堂宇 本堂、庫裏、書院、仁王門、宝蔵、土蔵、納屋 境内 538坪
「寺社帳」 寺家 性善院、田成院、林性坊、隠居地真如院(以上今皆廃す。)
 佐渡妙経寺本堂
次郎入道重信は中興入道(中興は地名)で、本間家家臣で念仏者であったが日蓮上人佐渡配流中に教化を受け、外護者となる。
◆17.雑太郡中原村:身延山久遠寺末、開基清保日正上人、俗名中興次郎入道、祖師に帰依して一庵を建立法華堂と云ふ、文永9年日正自筆の本尊に法華堂残らずと有之、・・寛文9年京都妙覚寺より・・・妙覚寺末寺の申告に付き、・・・寺社御奉行所に於いて妙経寺申し分相立、一の谷妙照寺と両山一寺の向に有之所、延宝6年妙経寺日寛遷化の後、後住の儀に付き妙照寺と出入に及び、天和元年妙照寺寺社奉行所へ訴出、・・・・妙経寺処分理分に成り、即ち江戸碑文谷法華寺末に仰せ付けられ、元禄4年不受不施一乱にて身延山末に改。当寺の外石田村法福寺と云一寺あり、寛文11年両寺一寺にして妙照寺相続。境内3反9畝3歩、畑9畝29歩、法福寺境内1反4畝14歩。
妙経寺々家 性善院、田成院、林性坊 仝隠居地 河原田裏町 真如院◆

★佐渡松ヶ崎本行寺

「明細帳」 根本寺末
堂宇 本堂、庫裏、鐘楼、宝蔵、土蔵
「寺社帳」 祖師此所甲ノ瀬へ着船、樫ノ洞中に3日明かす・・・
◆21.開基文永8年祖師此の甲之瀬へ着船、樫ノ洞中に3日明し、・・・往古寺山号なき草庵あり、庵主を仏寿房と云ふ、慶長元年京都本圀寺小僧正日鎮上人渡海の砌・・・、当寺京都妙覚寺末寺、・・寛文11年根本寺末に改、境内1反5畝歩・・・。
本行寺什宝 一、盃 一、題目石塔 祖師開眼  ※本行寺什物日蓮上人自筆首題石碑:「佐渡志附録図」より
        一、御消息 祖師筆 一、祖師木像 朗師の作
        一、樫 当村百姓四五植右衛門屋敷に有・・・◆
                              ※日蓮上人旧跡槻ノ図:「佐渡志附録図」より、左記の「樫」との関係は不明
※江戸初期の廻船問屋菊池喜兵衛の屋敷内に建立された氏寺とも思われる。本行寺の由来書はいく通りもあり信憑性に欠けるとされる。
過去帳では「本行院日営、元和元年、当山開基大檀那なり」とある。江戸期以前には前身のような堂の存在を窺わせる記録もある。
慶長年中京都本圀寺日鎮が渡海し、日蓮上人旧跡の復興を図った際に本尊を与えるとされるので、この頃の創建とも思われる。

★佐渡小木安隆寺

「明細帳」 京都愛宕郡妙顕寺末
文永9年宗祖流罪放免の節朗師放免状持参・・・禅宗性善坊の庵室に宿す、その際性善坊改宗して弟子となりて日顕と改名し当宗の道場とす
堂宇 本堂、庫裏、鐘楼、土蔵、納屋、祖師堂、三光堂、仁王堂
◆9.羽茂郡小木村:京都妙顕寺末、昌栄山、明暦2年小木村より今の地へ遷す、境内1町6反18歩、畑4畝6歩。◆

佐渡竹田世尊寺:本門宗

2016/12/12追加:重須本門寺直末。

「明細帳」 駿河富士郡本門寺客末
堂宇 本堂、庫裏、書院、玄関、廊下、鐘楼、惣門、仁王門、大門、宝蔵、土蔵、納屋、鬼子母神堂
 佐渡世尊寺境内:赤門及び本堂  佐渡世尊寺本堂
文永10年(1273)に開山、開基は日増上人、俗名は遠藤藤四郎盛国、順徳上皇警護の武士であった。上皇没後、邸内に一宇を建て、釈迦世尊の像を祀る。文永8年日蓮上人に帰依し、日興上人を開山とし、自らを二祖とする法華道場を開設した。
 明治22年小児の失火により、納屋、本堂、書院、玄関、庫裡等焼失。本堂:明治40年再建。
現在は本堂・書院・表門・長屋門・赤門・宝蔵・家財蔵などの堂宇を残す。
15.雑太郡竹田村、駿州富士郡本門寺末、開基日興、俗名は藤四郎盛国、順徳院に仕え、崩御の後禅門して国府入道と云ふ、文永9年塚原於いて祖師の直弟になる、此の地は泉沢小四郎屋敷を天正10年当寺へ寄附状あり、境内1町7反7畝歩、米1石3斗3升8合1勺、反歩2反3畝22歩・・・
世尊寺隠居地 慈仙院

佐渡後村本光寺

文永11年(1274)日朗上人が日蓮上人に赦免状を手渡した対面の場所と伝える。境内に、日蓮上人の腰掛石「赦免石」・「袈裟架けの松」がある。九老僧日行上人の開山とする。初祖は日郎上人。山号は日朗山。附近に日朗坂がある。
 佐渡日朗山本光寺
◆4、雑太郡後村:京都本圀寺末、文永11年日朗上人開基の地は不知、正和2年日朗坂に遷す、慶長元年本圀寺少僧正に地鎮上人渡海ありて当寺を再建立す。境内6反6畝6歩。◆

佐渡平和仏舎利塔:佐渡市河崎

昭和56年落慶。日本山妙法寺による。
※日本山妙法寺による仏舎利塔の建立:昭和29年熊本花岡山を最初として、国内外100所近くにのぼると云う。
安房清澄山仏舎利塔なども日本山妙法寺による。
 佐渡平和仏舎利塔:遠望写真 、詳細不詳。


◆1.相川下寺町
宝生(性)山円徳寺:京都本圀寺末、慶長元年本圀寺少僧正地鎮上人渡海、開基す。境内3反9畝18歩。◆

◆2.相川下寺町
正法寺:京都本圀寺末、開基円妙院日法寛永5年建立、円徳寺の記には慶長8年建立と有之、境内3畝20歩。◆

◆3.相川下寺町
銀谷山妙福寺:京都本圀寺末、開基寛永14年、円徳寺の記には元和2年建立と有之、境内4畝11歩。◆

◆5.雑太郡沢根村
円福寺:京都本圀寺末、開基慶長2年本圀寺少僧正地鎮上人、中興日喜寛永17年遷化、もと田中村にあり、宝永4年今の地へ遷す、境内東西30間、南北23間。◆

◆6.相川下寺町
普光山(栄光山と改)本典寺;京都要法寺末、元和9年本山21世日躰上人渡海、・・寛永6年・・・建立、本願山田吉左衛門吉重・・・、境内2反8畝11歩、同末上相川本行寺退転しその境内3畝22歩を本典寺へ被下・・。◆

◆7.相川五郎左衛門町
宝聚山玉泉寺:京都妙顕寺末、 慶長11年本山日紹上人渡海、下寺町当寺観音寺の向ひ西側に建立、寛永14年今の地に遷す、境内8反8畝、鎮守七面大明神・・◆

◆8.相川下寺町
長性山本敬寺:京都妙顕寺末、・・応永17年(19年)大法房日円沢根村に建立、慶長11年今の地へ遷し、享保年中・・・上の台より当時の地へ寺を遷す、境内5畝3歩。◆
  →下記11.相川下寺町蓮長寺に合併。

◆10.雑太郡竹田村
白鳥山円隆寺:京都妙顕寺末、開基日継、慶長元年建立、境内1反4畝5歩、屋鋪1反7畝3歩。◆

◆11.相川下寺町
妙法山蓮長寺:
 京都妙覚寺末、開基円諦院日円、元和5年上相川に建立、・・延宝2年当寺の境内に遷す、宝永6年再建立、境内6畝21歩。◆
2014/03/10追加:サイト:佐渡の国日蓮宗妙法山蓮長寺 より
 元和年中(1615-24)京都妙覚寺18世日奥上人佐渡へ来島の砌随身した圓諦院日圓により開創され、京都妙覚寺の末寺となる。
はじめ蓮体寺と号されたが、2世日泉上人により現在地に移転され蓮長寺と改称。
当山境内には不受不施派六僧の一人日庭が謫居した本敬寺があったといわれる。
宝永のはじめ火災により全焼し、宝永6年(1709)8月、本堂・方丈等が再建される。
 → 日庭上人<→江戸青山自證寺日庭を参照、備前妙善寺中にもあり>
2023/05/20追加:
○「日蓮宗寺院大鑑」池上本門寺、昭和56年 より
妙法山、京都妙覚寺末。
由緒は上記と同じ。
明治元年に廃寺の下知があるも、明治3年に復旧。
相川柄杓町法華寺、相川下寺町本敬寺を合併。
 →法華寺は12.上相川柄杓町法華寺を参照、→本敬寺は8.相川下寺町本敬寺を参照。
2023/04/20追加:
〇「Wikipedia」 より
佐渡相川蓮長寺
佐渡市相川下寺町にある。
妙法山と号し、京都妙覚寺末。
境内には日庭が謫居した本敬寺があったという。
元和年間(1615-24)日奥(京都妙覚寺18世)の佐渡来訪に随行した円諦院日円により開創された蓮体寺が起源。
日泉(2世)により現在地へ移転し蓮長寺と改称する。
宝永6年(1709)本堂、方丈等を再建。
2023/04/20追加:
〇サイト「佐渡人名録」 より
 佐渡蓮長寺には、配流中日庭が所持していた明応6年(1497)7月、行学院日朝(身延山久遠寺11世)のしたためた本尊(裏書に日庭の署名と書判がある)が、また佐渡本敬寺跡地には、新しく昭和55年に建てられた日庭の供養墓が残る。
 蓮長寺日庭供養墓:上記「サイト:佐渡の国日蓮宗妙法山蓮長寺」より写真を転載。
昭和55年建立の日庭供養塔と推定される。傍らに「長性山本敬寺跡」の石柱も建つ。

◆12.上相川柄杓町
経王山法華寺:京都妙覚寺末、開基恵性院日遊、寛永18年建立、第7世日達貞享元年今の地に遷す、是までは専念寺の後に有之、享保年中心善院再建立、境内4畝10歩・・・。◆
 →上記11.相川下寺町蓮長寺に合併。

◆13.雑太郡和泉村
法教山本光寺:駿州富士郡本門寺末、開基嘉元元年、境内8畝21歩、・・・往古当村に東の観音、西の弥陀、南の薬師、北の天神鎮座、各々順徳院勧請の由、即ち観音は今の本光寺に安置す。◆
黒木御所に隣接してある。正和元年(1312)日性の開基と云う。慶長7年富士重須本門寺日建から曼荼羅が授与される。
寛永年中12世日円代、観音平より現在地へ移転、三門・本堂を再興、慶安5年本門寺末、後竹田世尊寺末となる。
明治2年に廃寺、明治11年世尊寺の助力で復興する。木像聖観世音菩薩は重文。
2016/12/12追加:重須本門寺直末。

◆14.雑太郡下相川村
戸川山本興寺:駿州富士郡本門寺末、開基日儀、元亀3年建立、往古駿河国より戸川何某当国へ流罪、此の地にて死す、即ち社を建立して戸川権現に勧請し、其の後冨崎に遷す、当村の鎮守とす、境内4反歩。◆
2016/12/12追加:重須本門寺直末。

◆16.雑太郡一之谷村
法養山本覚寺:身延山久遠寺末、開基宝徳3年と祖師形像に彫(書)付有、当寺東武谷中感応寺末にて、不受不施一乱に依て元禄12年身延山末に改、境内1畝28歩。◆


2007/03/23作成:2024/01/09更新:ホームページ日本の塔婆日蓮の正系