札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。自分の専門を問われたとき、私は仕方なく「臨床心理学」と答えます。自分の志向性が大きく変化しつつあるので、本当のところは「臨床社会言語学」とか、「社会文化的臨床学」とか、言ってみたいものです。しかし、そんな学問のジャンルは聞いたことがありません。
ここでは、カウンセリングや心理療法といった、いわゆる臨床心理領域の初心者に向けて、研究の方法論にかかわる事柄についてつぶやくつもりです(ロールシャッハ・テストの方法論についてはこちらをご覧ください)。けれども、親切な解説ではありません。自分がよって立つ方法論はこれでよいのか、自分の頭で考えて頂くための落書きのようなものになると思います。十代の頃よく書いた、ノートの落書きです。
初心者の方々は、自分がいま現在どんな方法論にのっとって臨床活動を営んでいるのか、あまり自覚がないはずです。なぜなら、慌ただしく実務に追われて、そんなことまで考えるゆとりがないからです。けれども、方法論とは言葉を変えると「人間観」であり、「世界観」でもあります。たとえば、精神分析の立場で臨床を営むのと、認知行動療法の立場でクライエントを援助するのとでは、関与の仕方や、見方・考え方が大きく異なります。そして、それがカウンセラーの行動を知らぬ間に規定するのです。
ここまでで、何だ、お前が言おうとしているのは実践の方法論のことであって、研究の方法論のことではないようだという声が聞こえてきそうです。ここで考えてみませんか。私から問います。あなたにとって、実践と研究の方法論は別物なのですか? それ以前に、実践と研究は別物なのですか?
こんな感じで進めて行こうと思います。私は答えを出そうとしません。ただ何かをピンボケ状態で映し出そうとするだけです。後期のウィトゲンシュタインが好きなものですから。それから、文中で「臨床心理は」という表現を多用することになると思いますが、これはあくまで私が考える臨床心理の意味であって、限定的な意味合いで受け取ってください。心理臨床の世界でも、おそらく私のような考え方は少数派である可能性が高いものですから。
おそらく、私の文章を読んで違和感を感じた方は、実証やエビデンスを重視する姿勢が先鋭化した論理実証「主義者」に近いはずです。それが分かっただけでも、この拙い文章を読んでいただいた価値はあるかもしれません。いずれにせよ、思想的、認識論的に、私とは異質な存在であることだけは確かだと思います。カール・ロジャーズの必要十分条件を思い出しましょう。クライエントを「自分とは別個のひとりの人間として」受容することを。以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。
研究が実践であり、実践が研究でもあるような世界
研究とは何か?
何を研究すればよいのか?
どうして猫はゴロゴロするのか?
研究の倫理
クライエントを実験台にすることにはならないのか?
スーパーヴィジョン(スーパーヴァイザー)は必要なのか?
映像や音声を記録すること
臨床心理学の教育と統計解析ソフト
科学者-実践家モデルでよいのか?
多様な現実に、もううんざり
旧態依然とした分類、基礎と応用
確証バイアスと解釈学的循環
臨床心理学という心理主義への批判
あなたが書いた論文は受理されないでしょう
質的研究と量的研究
臨床心理学でノーベル賞はとれない?
診断と治療、見立てとカウンセリング
そもそも方法論の折衷は可能なのか?
効果研究
多忙な心理臨床家にも可能なカウンセリング効果研究のデザイン
何も共有していない者たちの共同体
以下、更新の予定です。
札幌・江別等、札幌圏の相談援助