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どうして猫はゴロゴロするのか?




 札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。この方法論ノートは「何を研究すればよいのか」まできましたが、何だかとても難しくなってしまったような気がします。ここで少し息抜きをしましょう。人間と猫を一緒にするわけではありませんが、猫の不思議について考えてみます。

 二人いる我が家の猫は、ゴロゴロと、のどを鳴らすことがあります。鼻も鳴らしいます。すべてが振動して、全身これ共鳴体と言う感じです。以前に飼った猫もそうでした。少なくとも、私が一緒に生きてきた三人の猫たちは、ゴロゴロと喉を鳴らすようです。ここまでは、「この私」と「この猫たち」のあいだの個別的な体験です。

 我が家の猫だけでなく、私がこれまで住んだことのある北海道内の留萌、釧路、旭川、札幌、江別市内で見かけた野良猫たちも、やはりゴロゴロしてました。そして、猫を飼う札幌在住の学生たちに聞いてみると、やはり札幌に住むその家の猫たちもゴロゴロするようでした。ここにくると、自分の個別的な体験を超えて、もしかすると猫であれば誰でもゴロゴロするのかもしれないと言う着想に至るはずです。江別と札幌の猫は同じくゴロゴロするとか、札幌市内でも、西区と東区の猫は札幌の猫として同じかもしれないとか、札幌の猫と函館の猫とか。日本と外国の猫は同じゴロゴロだとか、違うとか。

 猫のゴロゴロには普遍性がある。猫のゴロゴロの、差異と同一性について知りたい。ここで問いが立ちます。「どうして猫はゴロゴロするのか?」。この問いに対する答えを手にしようとして、われわれはあれこれ考えるでしょう。

 機械をもちだして、ゴロゴロ音の周波数を測定する人がいるかもしれません。いかにも科学的体裁を装った研究です。最近は、ゴロゴロに固有の周波数によって骨折の治りが早くなるとか、そこから派生して痛みを緩和するとか、いろいろなことが言われ出しました。

 出生間もない頃の母子関係をもちだす人もいるでしょう。幼い頃はゴロゴロによって母親猫を惹きつけ、それが成猫になっても名残として残るだとか。何だかとても精神分析的といいますか、発達心理的です。

 研究熱心な方は、時間や、場所や、人間や、その他の条件を変えて、猫のゴロゴロの変化・グラデーションを観察しようとするかもしれません。ここまでくると、もはや実験です。一緒に生きているはずの猫が、実験と観察の対象になってしまうのです。

 猫はどうしてゴロゴロと喉を鳴らすのか、この問いを解決しようとして一般法則を探求しようとすれば、「この私」と「この猫」の個別的関係はかえって邪魔ものになります。江別の猫とか、札幌の猫とか、そういった具体的な個別性を捨象した、いわゆる心理学の立場です。臨床心理的に理解しようとすれば、あくまで個別法則の探求になります。たとえば、いまここの札幌にいる「この私」と「この猫」のあいだでゴロゴロが発生するとき、そこで何が起こって、いるのかということです。

 出発点は、私と猫のあいだです。たとえば札幌にいる私が猫を膝に抱くと、ゴロゴロと全身を震わせた振動が伝わってきます。私はとてもリラックスします。振動のうちにある猫に、とても癒されるのです。それに触発されて、私は猫を愛撫します。すると猫はとても気持ち良さそうです。私は一日を終えた疲れや、心身の痛みをひととき忘れることができます。猫の方は、この間怪我をした後ろ足の痛みを、しばし忘れているかのようです。二人のあいだには、何かを読み取ろうとする一方的な媒介としての機械(あるいは意思疎通のための翻訳機)などありません。あるのは、ゴロゴロの身体的な振動、響きだけです。

 ハードな心理学を志向すれば、ゴロゴロの操作的定義をかっちりと規定しなければならないといった話になるのでしょうが、操作的定義などどうでもよいのです(非難の声がゴロゴロ聞こえそうです)。「あいだ」におけるゴロゴロの関主観的な体験を掘り下げていくこと、それこそが大切なことであると思います。ゴロゴロいう言語以前の世界に耳を澄ませるには、もしかすると現象学が役に立つのかもしれません。

 我が家の猫たちには、まだまだ不思議があります。のどを「パッ」と鳴らして威嚇することがあるのです。これは江別や札幌の猫に限られたことなのであろうか、それとも我が家の猫だけに認められる現象であって、江別や札幌の猫には認められないのであろうか。びっくりするほどの破裂音なのですが、「パッ、天下御免の向う傷・・・・」の、あの音を出すのです(古くてすみません)。猫の唇は人間のそれよりも不器用なはずですから、おそらく声帯を使っているのだと思います。驚きですが、生後間もない頃からです。

 けれども、あの破裂音をどのようにして出すのか、その解剖学的なメカニズムには興味ありません。一方の猫が他方の猫に追いかけられて窮地に陥ったとき、長くなった毛をハサミで刈ろうとして嫌がったとき、そんなときに決まって「パッ」とやるものですから、威嚇の「パッ」、もうやめてくれの「パッ」であることが分かるのです。そんな猫たちと一緒に生きる私にとって、生活状況が与えてくれるそのままの意味を超えて、「ゴロゴロ」や「パッ」の猫研究をしようとは思わないのです。札幌の猫は札幌の猫、江別の猫は江別の猫。我が家の猫は我が家の猫。以上、札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。



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