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クライエントを
実験台にすることにはならないのか?




 札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。ひとつ問いを立ててみましょう。カウンセリングの実践研究を行うとしても、それはクライエントを実験台にすることにはならないのか? 相談者を動物実験のモルモットのように扱うことにはならないのか?

 とても刺激的な問いです。まず、臨床心理学の領域ではあまり行う人はいませんが、「実験」と言う言葉についてあれこれ考えてみましょう。

 学問としての心理学にとって、実験と観察は基本的な研究法です。しかし、実験と言う言葉には否定的なイメージがついて回ることがあります。たとえば、人体実験がそうです。戦時中は、人間の生命を危機に晒す人体実験がいろいろな国で行われたようです。これは、もうあってはならないことであると思います。

 心理学は人体実験は行いません。しかし、倫理的に非難されるべき有名な実験がなかったわけではありません。過去の反省の下で、何でもアリの実験が行われることはもう無いものと信じております。

 「カウンセリングは実験か?」、そんな問いを立ててみます。答えは、「いいえ、カウンセリングは実験ではありません」となります。さて、最初の問いです。「カウンセリングの実践研究を行うとしても、それはクライエントを実験台にすることにはならないのか?」です。答えは「イエス」とも「ノー」とも言えます。そのようなことに、ならないよう願うばかりです。

 たとえば、こういうことです。二人の関係のなかであなたに何かアイデアが生まれ、そのクライエントに新たな手法を試してみたい、うまくいけば自分とクライエントのあいだに新たな局面が開けるかもしれないと考えられるとき、あなたはおそらく実行に移すでしょう。あるいは、あるアイデアを複数のクライエントで試してみたいと思い立ったとき、あなたはきっと実行に移すでしょう。しかし、少なくともその試みが、クライエントの害になってはいけません。もちろん、十分な説明と合意の下で行うのも当然のことです。こうしたことが守られない場合、それは研究優先の力づくの色彩を帯びてしまいます。実験台にしているわけです。

 「自分はクライエントを実験台にしていないか?」、折に触れてみずからに問うのがよいと思います。研究倫理は職業倫理でもあります。札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。




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