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あなたが書いた論文は
受理されないでしょう




 札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。人間性心理学の立役者としても著名なマズローは、もともとラット心理学を研究する行動主義者でした。彼が人間性心理学に参入したのは、自分の指向性が変わり、行動主義系の雑誌に論文受理されにくくなったと言う背景があるようです。

 カウンセリングを実践するあなたが論文を雑誌に投稿するとき、おそらく受験勉強よろしく、傾向と対策を考えるはずです。認知行動療法であれば精神分析の雑誌には投稿しないでしょうし、哲学系の臨床心理論文であれば「臨床精神病理」や「人間性心理学研究」にターゲットを絞るはずです。

 けれども、受理掲載に至るには、査読者の審査つまり査読が必要です。実はこれが難儀なのです。査読者はあなたの論文を読んで、自分の意見をぶつけてくるでしょう。客観的で公平な査読が必要なのは言うまでもありません。しかし、査読者も人間です。場合によっては、公平性を欠いた査読文が返信されてくることもあるかもしれません。

 論文が受理されるには、査読者の指摘に応じてそれを修正することが求められます。修正しなければ、まず受理される可能性はないでしょう。指摘の通りに手直しを重ねた論文は、最終的に受理掲載されるかもしれません。しかし、出来上がった原稿は、おそらくあなたのオリジナリティを抹消した、あくまで査読者よりの論文に姿を変えてしまったはずです。そのような論文が自分の書いたものだと、あなたは胸を張って言うことができるのでしょうか?

 論文審査には目に見えない政治学が絡みます。自分がこうと思う主張が通らないことが、いまも昔もよくあるのです。査読の公平性を確立するためにさまざまな学会が努力を重ねて、実現に向かう過渡期にあるようですが、その効果がいかほどのものであるのか、私にはよく分からないところです。世界を揺るがすことも無い、ささやかな臨床心理論文に対して、いまも査読の政治学は繰り広げられ、闇に葬られるのかもしれません。

 ここであなたに問います。論文が受理掲載されるのであれば、自分の主張を薄めて当たり障りのないもの、つまり査読者の指摘にしたがわせますか? それとも、みずからの主張を通すために投稿自体を断念しますか? 進むも退くもジレンマです。

 実は、ここに書いたことはすべてフィクションです。驚きましたか? 大丈夫です。理不尽な査読など存在しません。受理されないことをすべて査読者のせいにするのは、問題があるでしょう。そこに、投稿者と査読者の対等な対話が成立して、均衡が保たれるかぎりのことですが。札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。



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