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カウンセリングの効果研究


 カウンセリング(以下、心理療法と表記します)を受けてどんな効果があるのか、これは相談者にとっては切実な問題です。何の効果もなければ、わざわざ高い料金を支払ってまで受ける必要はないわけで、心理療法がこの世に存続するための根拠のようなものであると考えられます。

 では、相談者のニーズとは何か? 多くの方々は、いまある苦痛から解放されることを求めます。悩み、苦しみからの解放、心の痛みの緩和です。医学的な表現だと「主訴」と言うことになりますが、メインの痛みがなくなって、楽になることを求めるわけです。これが、相談者にとっての「効果」であると思います。

 この世界にはさまざまな効果研究があります。各流派が、自分たちの技法によってこんな効果が生まれるのだと、科学的な体裁を施した論文を発表し続けます。よくある形式は、心理療法を開始する前に行った評定と、終了後に行った評定を統計学の力を借りて検定し、前後の数値に有意な差があるか判定するものです。医学の世界でも、薬効(薬の効果)を調べるために同様の手続きをとります。

 何だか難しい話になってきました。もう少しお付き合いください。

 しかし、科学的な体裁を施したやり方だと、デメリットもあります。多くの人たちの体験を測定可能なレベルに限定し、それを数値に還元するので、一人ひとりの個別的な主観的体験がすべて無視されるだけでなく、測定できない部分は無かったことにされてしまうのです。人間の心的行為を測定するために開発された尺度や心理テストはたくさんあります。しかし、人間の測れる部分など、氷山の一角に当たるわずかな側面だけなのです。

 科学的な効果研究の結果は、相談者一人ひとりの生きた実感から、あまりにもかけ離れたものなのです。

 「効果がある」と言う表現の背景について、もう少し考えてみましょう。各流派とそこに所属する各研究者は、独自の心理療法観や人間観を持っています。その上で、自分が用いる技法によって変化しやすい側面に着目し、それを測定することによって効果を見定めます。あらかじめターゲットを絞って測定するわけです。そして、そのターゲットは各流派で異なるようです。つまり、心理療法の「効果あり」と言う表現は、多様な内実によって構成されているのです。

 そのようにして、まさに現実は作られます。各流派が嘘をついたり、無効を有効とでっちあげたりするのでなく、一定の手続きを踏んで、自分たちの立場から作り上げたそれぞれの現実を、「効果がある」と表現して示しているのです。このような考え方、認識論は、構成主義や社会構成主義の領域では常識です。心理療法は、絶対的な、唯一無二の基準に照らして効果があるとは言えません。そもそも、そんな絶対的基準など無いのですから。したがって、「効果がある」も多様なのです。

 エビデンスをベースにした言い方をすれば、ある心理療法を行うと○○パーセントの相談者は回復する、○割の人に効果がある、といった表現が可能です。ここから、あらかじめ効果を予測できるわけです。しかし、これはヴァィツゼッカーが言うように、科学的な世界で言う予測とは、実は「事が起こってからの予測」にすぎません。現実に生きる私たちは、予測と、それが実現された結果とのズレや一致を、まさに事が起こってからでなければ知ることができないのです。心理療法の効果は予測できない、実際にやってみなければわからない、これが真実なのです。

 心理療法によって、どんなことが、どんな側面に現われるのか、実際にやってみなければわからないとすれば、あなたはクライエントに対して、その効果をどのように説明しますか。分かりやすく説明しなければ、「やってみなければ分からないなんて、無責任なことを言うな」と叱責されるかもしれません。これは、カウンセラーとしてのみなさんへの宿題としましょう。

 相談者の満足度を、心理療法の効果として理解する人もいます。けれども、これにもデメリットがあります。主観的にはとても満足し、変化を感じても、周囲の視点からは何も変化していない場合です。反対に、周囲の視点からはとても変化したように映るのに、本人に実感がなく、不満足な場合もあります。

 実存的な立場だと、あまり効果のことはやいのやいの言わないようです。私も、それほど頓着しません。ジャン=リュク・ナンシーがどこかで言っていましたが、私も効果を追うのではなく、根づくことを大切にしようと思います。

 こちらも合わせてご覧ください。→ カウンセリング効果研究のデザイン





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