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そもそも方法論の折衷は可能なのか?




 札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。実践と研究を分けて考えるのは好みではありません。不本意ですが、このページにかぎって分けて考えることにします。

 さまざまな流派にまたがるカウンセリング・心理療法のミクロ的な技法を、折衷して使用する人たちがいます。「統合的」心理療法とか「統合・折衷」心理療法とか呼ばれます。このような人たちは、昔から折衷派などと呼ばれてきたようです。また、近年、百花繚乱の流派を統合して理解しようとする一群の人たちが現われ、その趣旨で作られた世界学会もあります。

 研究方法論も同じです。質的研究法と量的研究法を折衷して使う人たちがいます。一本の論文のなかで併用する人もいれば、論文によって使い分ける人もいます。ロールシャッハ・テストの一般的な解釈法もそうです。質的データの解釈と量的データの解釈を折衷して、一定の理解に至るわけですから。

 私たちはカウンセリングの実践研究で、普段から、ほとんど無頓着に、異なるミクロ的方法論やマクロ的方法論を折衷して使っているようです。折衷が出来ているような気がするので頓着しないわけですが、果たして、異なる方法論から得られた理解を折衷・統合するのは可能なのでしょうか。これが、ここでの問いになります。

 皆さんはクーンの「通約不可能性」の概念をご存じでしょうか。そこには断続的転換としてのパラダイム・チェンジがあるだけであって、折衷とか統合などおおよそ考えられないことなのです。互いにとって両立不可能な説明がそれぞれの方法論から導き出されるわけで、共可能なわけではないのです。

 ロールシャッハ・テストで説明しましょう。おそらく、質的解釈と量的解釈を統合していると自任する人は、次のようなことを行っているのかもしれません。つまり、たとえば現象学(力動的な精神分析学でもよい)の態度をとる人であれば、質的データを現象学的に理解するだけでなく、量的データの布置もメタ現象学的な概念に翻訳(通約)して、現象学に引き付けて理解するのではないか、と言うことです。それなら、折衷でも、統合でもありません。

 新カント派やオールポートの「個性記述的」と「法則定立的」の二分法、ディルタイの「自然科学」と「精神科学」の二分法、実践と研究(理論と実践)の二分法など、古くて新しい問題があります。統合以前に、まずそのような前提から問い直す必要があるような気がします。

 難しいですが、可能なかぎり科学哲学の本を読みましょう。敬愛する日本の哲学者、野家啓一先生の「科学の解釈学」を、まずはお勧めします。札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。



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