札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」です。おそらく心理学を専攻した方は、研究法として量的研究法(統計解析)を学び、質的研究法は学ばなかったか、学んだとしても量的研究の予備段階のものに過ぎないと教わったのでは? 臨床心理を専攻した方は、質的研究法の導入がかなり進んできましたから、おそらく両方について学んだのかもしれません(定量的分析とか定性的分析なる言い方もあります)。
会話分析などの手法を駆使してテクスト・データを細やかに解析することによって、われわれはカウンセリングのミクロ的なプロセスを探求することが可能となります。従来的な事例研究の論文を超えた、さまざまな質的研究法による論文が、いまや主流となりつつあります。
あなたは質的研究法で言う「質」とは何であるのか、考えたことがありますか? 厳密に言えば、それは質では無いのかもしれません。一口に質的といっても、現象や出来事を量に還元しない非量的な研究として否定型の表現をしなければならないほど、その内実は多様なのです。
質的研究法と量的研究法は背景にある認識論や世界観が異なりますが、それは質的研究法内部でも言えることです。たとえば、現象学的方法と、グラウンディッド・セオリーと、社会学的な会話分析と、バフチンの対話系列分析は、分析の視点も、人間観も、全然違うのです。
質的と量的を折衷して行う、トライアンギュレーションなる手法もあるようです。カウンセリングの世界だと、ロールシャッハ・テストを解釈する際に、当り前のように行うやり方です。しかし、認識論的に異なる背景をもった複数の方法論を折衷することには、どんな意味があるのか考えたことがありますか? これについては機会を改めて述べようと思います。
研究する対象や目的にふさわしい方法論を選択すべきであると、よく言われます。そうなると、場合によっては、あるときは質で、またあるときは量で、と言うことが当然視されることになります。しかし、一介の研究者にしてみると、方法論とはお手軽にチョイスできるものではありません。なぜならば、それはわれわれにとって人生が百八十度転換することに等しいからです。
方法論についてここまで重みをもって考える私は、この世界ではもしかすると浮いているのかもしれません。あなたはどう考えますか?札幌・江別の「のっぽろカウンセリング研究室」でした。
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