天明寛政享和リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●天明7年(1787)
11月28日−栗山孝庵が萩の刑場で養孫の玄厚らに死体を解剖させ、人体図を作る。
清末藩、藩校「育英館」を創立する。
●天明8年(1788)
厚狭郡有帆の石炭を製塩に使用する。
●寛政4年(1792)
長府藩、藩校「敬業館」を創立する。
●寛政5年(1793)
萩藩、室積会所の仕法を定める。
●寛政7年(1795)
6月−幕府が日本海沿岸の諸大名に、漂流朝鮮漁船などの救助の徹底を命じる。
●寛政9年(1797)
有馬喜惣太製作の「防長土図」が萩藩に進納される。
●寛政10年(1798)
防長両国の人口60万2527人となる。
●享和3年(1803)
2月18日−長州藩が困窮諸士の在郷居住を許可する。