享保年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●享保元年(1716)
●享保2年(1717)
●享保3年(1718)
●享保4年(1719)
●享保5年(1720)
●享保6年(1721)
●享保10年(1725)
●享保11年(1726)
●享保14年(1729)
●享保15年(1730)
●享保17年(1732)
正徳5年の万役山事件が発端で、徳山藩が改易される。藩主毛利元次は出羽国新庄藩へ預け、領地は萩藩領となる。
4月21日−幕府が福岡藩・長州藩に清の密貿易船の追捕を命じる
(5月,小倉藩にも命令)。
2月15日−小倉・福岡・長州3藩が清の密貿易船を筑前白島で撃退する。
5月−萩藩が,藩士が知行所を質に借金することを禁じる。
岩国領玖珂郡南部の百姓一揆が再発し、これをめぐって萩・岩国が対立する。
山代宰判で百姓一揆が起こり、請紙制の改善を求める。
長府藩主毛利元矩が死去し、清末藩の毛利元平(匡広)が家督を相続し、清末藩中絶する。
1月12日−萩藩が藩校明倫館を萩に創設する。
2月22日−萩藩が農民に薩摩櫨(はぜ)の栽培法を指示する。
11月26日−萩藩が端物・薬種・砂糖の唐物売買に問屋を定める。
萩藩、、永田政純に家臣・社寺の文書を調査させ、『閥閲録(ばつえつろく)』の編集を命ずる。
また、井上親明に『地下上申』および『寺社由来』の編集を命じる。
9月−萩藩が山林保護のため竹・木の伐採を制限する。
1月19日−萩藩、領内諸郡に琉球櫨の栽培を強力に指導する。
7月28日−信濃松本藩主水野忠恒が江戸城内で毛利師就に刃傷におよび8月27日改易となる。
9月11日−幕府が薩摩藩など九州・中国の15藩に清の密貿易船打ち払いを命じる。
萩藩、幕府に防長両国の人口46万1,040人と報告する。
長府藩毛利師就(もりたか)、一万石の地を弟政苗(まさなり)分知し、清末藩を再興する。
萩藩、藩札を発行し、萩と、諸郡に札座を置く。また岩国領で岩国札銀の支配座を設ける。
各地にウンカが大量発生し、甚だしい飢饉となる(享保の虫枯れ)。両国の被害高29万2,740石余。
萩藩、幕府より2万両を拝借。その内長府藩へ4,000両、徳山藩へ3,000両を配分する。