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●安政元年(1854)
●安政2年(1855)
●安政3年(1856)
●安政4年(1857)
●安政5年(1858)
●安政6年(1859)
8月-国学者・鈴木重胤、下関の廻船問屋・白石正一郎宅へ滞在、連日講義を行う。正一郎、入門を
申し出て許される。
10月24日−吉田松陰、金子重輔の護送駕籠が萩城下に到着。松陰は野山獄に、重輔は
岩倉獄に投じられる。
12月15日−吉田松陰、野山獄を仮出獄。実家杉家に帰るが厳しい監視下に置かれる。
小野田古(おのだこ)開作で石炭採掘のための干拓が行われる。
萩藩、西洋学所を設置。
9月−萩藩、幕府観光丸の燃料として石炭の長崎納入を始める。
萩藩初の洋式軍艦丙辰丸、進水式。
8月22日−吉田松陰、松下村塾を開く。
11月12日−薩摩藩・西郷隆盛、下関の白石正一郎を訪れる。
萩藩、幕府から宇部村の石炭を差し出すよう求められ、有帆、東高泊、須恵、宇部の石炭を送る。
萩藩周布政之助は、カッテンディーケが指揮するオランダ教師団のもとへ陸海35人の直伝習生を派遣。
萩藩、西洋兵学の研究機関・洋学所を拡充し「博習堂」と改称する。
萩藩、松島瑞益の進言により、萩に反射炉を築く。
益田弾正萩藩当役(28歳)に就任。
12月26日−松陰、再び野山獄に送られる。
2月−萩藩、石炭を産物方の一手取扱とし、薩長交易の輸出品とする。
4月19日−幕府は吉田松陰の江戸護送を長州藩邸に通達する。5月25日、江戸へ護送。
8月−医学所好生館から分離させた洋学所を「博習堂」と改称し、藩の西洋兵学を研究
する教育機関とした。
妻崎新開作で石炭採掘のための干拓が行われる。