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●正保元年(1644)
●正保2年(1645)
●正保3年(1646)
●慶安3年(1650)
●慶安4年(1651)
10月17日−萩藩士児玉元恒が財政再建の意見書を藩に提出する。
長崎奉行新見七衛門が長崎から江戸へ向かう途中、宇部沖で難破。藤曲の庄屋名和田作兵衛に救助される。
11月23日−〔毛利秀就と正室、世子千代熊は上屋敷作事のため完成した麻布下屋敷に移る。〕
11月16日−萩藩が藩政改革に着手する。
財政改革のため家臣の知行の二歩を借り上げ、八百石以下の者は下地を召し上げ浮米を支給する。
春−〔正保の改革で上地した周防東大寺領を巡って東大寺と対立するが幕府老中安倍正之の仲介により内済となる。〕
6月−輝元二男就隆、下松から徳山(野上)へ移り、徳山藩が成立。
7月−萩浦に唐の商船が漂着する。
閏10月−〔長府藩主毛利秀元、江戸で病没(72歳)11月11日、長男光広が跡目相続する。〕
萩藩、領内を十八の宰判(さいばん=行政区)に分ける。
1月5日−毛利秀就死す、家老梨羽頼母(なしわたのも)ら殉死。児玉元恒が当役(筆頭家老)を務める。
2月20日−秀就嫡子・千代熊(13歳・後綱広)の跡目相続が幕府より認められる。
12月20日−藩主千代熊が幼少のため幕府より派遣された国目付・使番斉藤利正、小姓組番士山田重種が萩に到着。