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●弘化2年(1845)
●嘉永元年(1848)
●嘉永2年(1849)
●嘉永3年(1850)
●嘉永4年(1851)
●嘉永6年(1853)
萩藩、萩城および海岸防備の部署を定めて幕府に報告する。
吉田松陰(19歳)、正式に明倫館の兵学教授となる。
10月−萩藩、種痘所を設置して接種を開始。
萩藩、明倫館を江向(えむかい)に移転し施設拡充。
2月−旧・医学所を拡充し、名称を「好生館」と改める。
8月25日−松陰、九州遊学に出発する。(12月29日、帰着)
3月5日−松陰、関西、江戸へ出発。(12月14日、江戸藩邸を出奔、結果的に脱藩となる。翌嘉永5年、脱藩の罪により
士籍剥奪。ただし、実父杉百合之助の育(はぐくみ)とされる。)
1月26日−松陰、諸国遊学が許され、浪人として、再度江戸へ出発。