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●慶長6年(1601)
●慶長7年(1602)
●慶長15年(1610)
●慶長16年(1611)
●慶長18年(1613)
●慶長19年(1614)
●慶長5年(1600)
7月24日−徳川家康、小山に着陣、伏見から石田三成挙兵の報が届く。家康、諸大名を集めて軍議を開く(小山評定)。
7月26日−福島正則、池田輝政ら東軍先鋒、小山を出陣。
8月24日−徳川秀忠、兵3万8000を率い宇都宮を出陣。
結城秀康(家康の二男)、越前に転封。
宇都宮藩主・蒲生秀行、会津に転封となり、奥平家昌が入封する。
家康、宇都宮宿や真岡町の地子(じし=町方の屋敷地の年貢)を免除する。
幕府、宇都宮明神社を造営する(慶長10年に完成)。
足尾銅山が、播磨の山崎治兵衛、備前の高坂清右衛門によって発見される。
肥後の細川家の分家細川興元、茂木に1万石で入封する。
板戸用水が開削される。さらに工事は続き、11ケ村の灌漑に利用される。
足尾銅山が発見され、幕府の御用銅山とされる。
家康が、南光坊天海を日光山別当とする。
京都方広寺大仏殿の梵鐘鋳造のため、佐野天明鋳物師(さのてんみょういもじ)が上洛する。
佐野藩主・佐野信吉、兄富田信高の刃傷事件に連座して改易される。