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●寛永元年(1624)
●寛永3年(1626)
●寛永7年(1630)
●寛永8年(1631)
●寛永10年(1633)
●寛永11年(1634)
●寛永13年(1636)
●寛永18年(1641)
●寛永19年(1642)
7月−福島正則、高井野で死去。
4月24日−幕府が,前将軍秀忠の弟松平忠輝の配所を飛騨高山から諏訪に移す。
12月−上野国甘楽郡の土豪市川五郎兵衛が佐久郡で原野の開発を始める(五郎兵衛新田)。
市川五郎兵衛、佐久郡矢島原の新田開発のための用水を開通させる。
3月13日−浅間山が噴火し,その灰が江戸にまで達して草木が変色する。
松平廉直、信濃国松本五万石から播磨国明石七万石に入る。
真田信之、水内(みのち)郡鬼無里(きなさ)村などの麻売買を取り締まる。
高遠領主保科正之が出羽山形に、山形の鳥居忠春が高遠に移封。
この年から大凶作が続き、餓死者が多数出る。
諏訪湖で明海三浜(あきうみさんはま)・氷上5ケ村4浜の漁業独占村が定められる。
出羽国飽海(あくみ)郡遊佐と信濃国小県(ちいさがた)郡別所で農民が逃散する。