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●万治3年(1660)
●寛文元年(1661)
●寛文2年(1662)
●寛文4年(1664)
●寛文5年(1665)
●寛文6年(1666)
●寛文9年(1669)
●寛文10年(1670)
●寛文12年(1672)
下総佐倉藩主堀田正信が幕政を批判し、無断で帰城したため領地没収となり、飯田藩にお預けとなる。
上田領塩尻村で蚕種製造が始まる。
荻原嬉右衛門、木島平で紙すきを始めると伝えられる。
小諸領主青山宗俊、大阪城代となり転封し、上野前橋から酒井忠能が入封する
この年、安曇郡二木堪左衛門、梓川より取水して勘左衛門堰を開く。
7月4日−幕府が信濃・小諸藩と上野・沼田藩の国境紛争を裁定する。
尾張藩、木曽林政を直轄にし、上松(あげまつ)に材木役所を置く。
松代藩、領内全村から差出検地帳を徴する。
3月−上田藩が家中法度、百姓法度を定める。
8月17日−幕府が上野・信濃・越後に河・堀の巡察使を派遣する。
4月12日−幕府が高遠領内山寺村ほか5か村と飯田領内神子柴(みこしば)村ほか7か村の入会山論を裁許する。
小諸領主酒井忠能、領内総検地。これに反対して一揆が起こる。
この頃、飯山藩家臣野田喜左衛門、芋川(いもがわ)堰を開き、以後多数の堰を開く。
9月4日−小諸藩が領内に馬継ぎの規則を出す。
幕府、飯田領主脇坂安政を播磨竜野に、下野烏山領主堀親昌を飯田に移す。