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●延宝元年(1673)
●延宝2年(1674)
●延宝3年(1675)
●延宝5年(1677)
●延宝6年(1678)
●延宝7年(1679)
●天和2年(1682)
●天和3年(1683)
●貞享3年(1686)
松本領塩尻組上西条の清兵衛(せいべえ)、石灰の製造を始める。
伊那街道で中馬(ちゆうま)と宿駅との争論が始まる。
この年、凶作飢饉、高島領だけで1,200人の餓死者が出る。
松代藩で二斗八(にとはち)騒動が起こる。
4月15日−諏訪藩が藩士の知行を地方知行から蔵米取りに改める。
夏−松本藩領内で飢饉による春からの餓死・病死者が2,710人に達する。
高島藩、地方知行を蔵方知行に切りかえる。他藩も順次切りかえる。
9月25日−幕府が小諸・諏訪両藩間の蓼科山中の境界をめぐる論争に裁許を下す。
小諸藩領内芦田村・長瀬村ほかの農民が諸運上重課に反対して越訴し,庄屋ら4人が死罪となる。(芦田騒動)
翌年9月6日,藩主酒井忠能(ただあきら)は駿河田中藩へ転封となる。
9月6日−小諸藩主奏者番酒井忠能(ただよし)が,領内失政により免職のうえ駿河田中に転封,
田中藩主西尾忠成(ただなり)が小諸へ移封となる。
幕府、信州松代藩主真田信房ら四大名に旧高田藩の検地を命じる。
松平忠輝、幽閉地高島城南の丸で没する。
10月14日−松本藩領内の農民が納税法改悪に反対し松本城下に押し寄せる(加助騒動・貞享騒動)。