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●文化7年(1810)
●文化9年(1812)
●文政3年(1820)
●文政4年(1821)
●文政6年(1823)
●文政7年(1824)
●文政8年(1825)
●文政10年(1827)
●文化2年(1805)
延岡藩「御仕置帳(おしおきちょう)」を発布、家中俸禄の借上率を7割引と規定する。
伊能忠敬、全国測量のため日向に入り、延岡・佐土原・飫肥を測量する。
伊能忠敬一行、野尻から本庄・佐土原・高鍋・美々津(みみつ)・延岡・岩戸・田原を測量。
高鍋藩福嶋で疫痢が流行、死者300人以上。
12月20日−霧島山が噴火。
佐土原藩の武道派と文学派の対立が激化、双方から20人が遠島など処罰される(鴫之口[しぎのくち]騒動)。
2月17日−妖肥藩が102万5,000本の杉苗を植林する。
「高岡名勝志」ができる。
佐土原藩校学習館創設、郷学所(ごうがくしょ)を追手(おうて)・十文字・鴫之ロ・野久尾(のくび)に創設。
佐土原藩藩札「楮元銭(こぞもとせん)」を発行。
飫肥藩士安井倉洲(そうしゅう=息軒の父)、清武村中野に郷校明教堂を起こす。