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●天明3年(1783)
●天明8年(1788)
●寛政3年(1791)
●寛政4年(1792)
●寛政5年(1793)
●寛政8年(1796)
●享和元年(1801)
●天明2年(1782)
佐土原藩士たちが藩政刷新を求めて藩庁に追る(天明騒動)。
延岡藩、幕府より美濃・尾張・伊勢三国の護岸工事を命ぜられる。
佐土原藩宗家鹿児島藩より金1,500両、赤米1,500俵を借用。また紙の専売を始める。
木喰上人、日向国分寺(西都市)に入る(寛政9年まで滞在)。
6月−都城領主の領主島津久倫の儒臣藤崎公寛(きみひろ)が、大淀川観音瀬(かんのんぜ)の
開削に着工、翌年竣工。
阿波国板野郡引野村の丸山徳弥が製糖法を学ぶため来国。
高山彦九郎、米良・高岡・高鍋・佐土原・延岡・高千穂を巡る。
4月23日−都城領主島津久倫が西岳牟礼野(むれの)牧を再興し、馬50頭を飼う。
飫肥藩士野中金右衛門、藩の植木方に就任、以来50年間にわたり飫肥杉造林に尽くし、林業を
さらに発展させる。
飫肥11代藩主祐民(すけたみ)、学問所を飫肥十文字に創設。