●明暦元年(1655) 有馬氏県城を改築し城下町を拡張、延岡7町完成。 ●明暦2年(1656) 都城領内の一向宗徒に検料銀(けんりょうぎん)を課し、信徒の武士は農民に格下げする。 幕府、肥後人吉藩主相良壱岐守に椎葉山支配を命じる。 ●明暦3年(1657) 飫肥4代藩主伊東祐次(すけつぐ・祐由)、弟祐春に東弁分(ひがしべんぶん)・北方3,000石分知。
●明暦2年(1656) 都城領内の一向宗徒に検料銀(けんりょうぎん)を課し、信徒の武士は農民に格下げする。 幕府、肥後人吉藩主相良壱岐守に椎葉山支配を命じる。
●明暦3年(1657) 飫肥4代藩主伊東祐次(すけつぐ・祐由)、弟祐春に東弁分(ひがしべんぶん)・北方3,000石分知。