●寛保2年(1742) 延岡藩主牧野貞通が京都所司代となる。 高鍋藩領串間大火、今町162戸焼失。 ●寛保3年(1743) 4月−高鍋藩が飛び地櫛間(くしま)の諸士・職人に稲穀類を貸与する。
●寛保3年(1743) 4月−高鍋藩が飛び地櫛間(くしま)の諸士・職人に稲穀類を貸与する。