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●寛文3年(1663)
●寛文6年(1666)
●寛文7年(1667)
●寛文8年(1668)
●寛文9年(1669)
●寛文2年(1662)
日向大地震、大津波で飫肥領内に大被害あり。佐土原領内倒壊家屋800戸。
都城領主北郷(ほんごう)忠長、島津姓に戻る。
下総国野呂(のろ)日蓮宗不受不施派妙興(みようこう)寺の僧日講(にっこう)、佐上原に配流される。
延岡藩と豊後中川岡(ぷんごなかがわおか)藩との間に境界論争始まる(梓山論所=あずさやまろんじょ)。
高鍋藩串間大河原(くしまおおかわら)の農民13軒60余余人、飫肥伊東領へ逃散。
8月11日−肥後・豊後・日向・豊前に台風が襲来し,各地に洪水を引きおこす。