明和・安永年間リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●明和4年(1767)
●明和5年(1768)
●明和6年(1769)
●明和7年(1770)
●安永2年(1773)
●安永5年(1776)
●安永7年(1778)
●安永9年(1780)
●明和元年(1764)
高鍋藩、浮世人は3代目より「百姓」身分とする。
高鍋7代藩主種茂(たねしげ)の弟松三郎、米沢藩主となり上杉治憲(鷹山)と称す。
延岡藩藩校「学問所・武芸所」設置。
高鍋城大地震のため損壊。佐上原城下大火。
尾張大納言徳川宗勝の子政脩(まさのぶ)、延岡藩11代藩主となる。
延岡藩有扶持(ありふち)制を廃止、石高に応じた割引制を実施。
延岡恒富用水路完成。
高鍋藩福嶋の上町で大火、家屋80戸・土蔵2棟が焼ける。
2月24日−千手興欽(おきかね)の建言で高鍋藩校(のち明倫堂)を設立する。
都城に学舎稽古所が創設される。
延岡藩が風俗善導のため、城下居住者のうち30歳以下に若連中を組織させる。