9.散桜

あいつのカミさんから酒が届いた。私が酒好きなのを聞いていたのだろう。「主人が好きだった故郷の地酒です」と書いてあった。ある日、私の席へ来て彼は「今度切腹することになったよ」と明るい顔をして言った。どこがとは詳しく聞かなかったが、まだまだ壮年の元気な盛りだったからだろう。話は手術のことより、しばらく休むことへの仕事の段取りに終始した。このときはちょっと長い休暇のような気もして病院に見舞いにも行かなかったし、予定通り2,3週間して彼は復職してきた。そんなものだろうと、誰も心配はしていなかった。仕事は忙しい時期だったし、誰もがそんな年代だった。暮れの納会では、酒こそ控えていたが笑顔だった。
 年を越して桜の散る頃再入院となった。さすがに今度は仕事の区切りを付け、特に何かを考えるでもなく軽い気持ちで、一人で病院に見舞いに行った。土色の顔を見て気付いた、一人で見舞いなど来なければ良かったと。「仕事なんてお前がいなくても回るもんだよ」と冗談に紛らしながら、癌で亡くなった父を思い出していた。腰が落ち着かない。病院を去るとき振り返ると、桜がハラハラと散っていた。「ああ、この桜、残るな」と思った。
 その後、病状は一進一退、転院したと聞いて見舞いにも行った。面会室まで歩いてきて大分持ち直したかのように見えたが、転院して一ヶ月もたった頃、危ないとの連絡があり、取る物もとりあえず急いで病院に駆けつけた。彼は集中治療室で目を瞑り横たわっていた。回りに親族の人がいたが、構わず手を握り大きな声で彼の名を呼んだ。何度か呼んだ後、彼は目を開け私を見たように思う。いや、確かに目を開けて私を見返し、私を認めた。言葉はなかった。今故郷から母親がこちらに向かっているという。その晩、彼が亡くなったと電話があった。覚悟はしていた。「そうか」とだけ答えていた。母親は間に合ったのだろうか、それだけが気がかりだった。
 最後の顔を見たとき、突然ボロッと涙がこぼれた。涙腺が緩むというのはよく聞くが、目頭が熱くもならずに、前触れも無く突然ボロッとこぼれるのを初めて知った。カミさんから送られた酒を一人で飲んだ。「やりきれないよナ」とか「やってられないよナ」などと一人でブツブツ呟きながら、否応なしに一緒に仕事をしていた頃、一緒に酒を飲んだ夜を思い出す。あの日、病院で振り返って見たハラハラと散っていた桜は残ったままだ。

 「偲んでくれることさえ」と花をいじりながら祖母は墓石に問いかけた。「私らは期待しちゃいけないのかね」祖母は僕を無視して墓石の前にしゃがみ、静かに手を合わせた。「祖母ちゃん」さすがに苛々して僕が声をかけると、祖母はゆっくりと僕を振り返った。「一人で死ぬことなんてちっともこわくない」と祖母は言った。「だけど、ねえ、一年に一度でいい。一分でも、一秒だっていい。自分が死んだあと、生きていた日の自分を生きている誰かに思い出してほしいと願うのは、そんなに贅沢なことなのかい?」(「MISSING」本多孝好)
 歳を取ると感傷的になっていけない。昨年、彼が一番気掛かりだったであろう当時高校生だった二人の娘さんも、下の娘さんが大学を卒業し就職した。カミさんからは「やっと娘も就職しました。少しゆっくりするつもりです」と葉書がきた。毎年桜が咲き、そして散っていく。散る桜をみると、あの日病院で振り返ってみた、ハラハラと散る桜を、そして彼を思い出す。