1.木と子供時代(子供時代の木々の想い出)
多少樹形が変わっていても、サンゴジュの木は大体分かるようになった。しかし妻は子供の頃近所にサンゴジュがあって、葉っぱで遊んでいたとかで、樹木の特徴がどうのこうのではなく、当然のごとく「これはサンゴジュだ」と断言する。あるいは、料理に使う月桂樹は、葉だけ見て月桂樹ということになんのためらいもない。つまり経験的知識でおぼえた樹木は理屈抜きに分かるようである。そんなことを思いながら、私自身、子供の頃から慣れ親しんでいた樹木があった。
桜(ソメイヨシノ)の木
08.11.02上福岡父があるとき桜の苗木を持ち帰り玄関脇に植えたそうだ、私の子供時代には、毎年みごとな桜の花を咲かせ、近所の人達が満開の桜を見上げながら家の前を通っていったものである。小学5年生の春休みに母の田舎である広島から家に戻ったとき出迎えてくれた満開の桜は今でも忘れられない。
よく木登りをした。毛虫が大量発生したときは、長い棒の先に火をつけ焼いて駆除したり、木にとまった蝉を手づかみで取ったり、近所の子供達とも桜の木で「達磨さん転んだ」をしたり、とにかく桜の木は子供たちの遊び友達だった。
あるとき、木に登るとっかかりとなっていた横枝を子供たちが何人も乗り折ってしまった。それからなんとなく木に登らなくなった。その後、家の増築を行うとき、その桜は大工に引き取られていった。受験勉強の息抜きに暗くなった家の外を見ると、子供心にもいつもあった場所に桜が見えない寂しさを感じたものである。今でも桜の時期になるとソワソワするのはこうした原風景のせいかも知れない。
いちじくの木
08.11.09上福岡いちじくの木の横枝はブランコにちょうど良かったので、手作りのブランコを縛りつけ遊んだ。折れやすいと聞いていたのでほとんど木登りはしなかった。あまり果物という意識もなく、甘い実がなる頃はもいで食べたが、あまり好きではなかったように思う。一度実を割って食べようとしたら、中から足長蜂が出てきて驚いたことがあった。それがトラウマになったか、それ以降イチジクを口にしたことはない。
葉は5片くらいに深く裂け、大きさは20~30cmもあり、表面は緑色でかたい毛が生えているので触るとざらざらした。分かりやすい木であるが、あの葉のざらざら感だけは長く覚えている。
柿の木
08.11.30ふじみ野柿の木は当時とすれば食用だったように思う。しかし我が家の柿の木は渋柿だった。最初から渋柿を植えたとは思えないので、甘柿と思って植えたが成ってみたら渋柿だったというのが本音であろう。渋柿は皮をむいて縄目に取り付け軒先につるした。毎年家の軒先に柿が干される頃はぼちぼち冬近しを感じた。 また、家では白菜を漬けていたから、軒先の干し柿と白菜の漬物が冬支度の風物詩であった。
あるとき渋柿を切りそこに甘柿の枝を挿し木した。数年後、今度なった柿は甘かった。いつしかこの柿の木も姿を消したが、桜ほど定かではない。
最近この時期になると枝もたわわに柿の木がなっている。誰も取らないようだが、鄙びた田舎の山あいの風景に柿の木が良く似合う。日本の風景だなと思う。
子供時代、私の家にあった3本の木の思い出であるが、誰しもそれぞれに木々との思い出があるのではないか。それだけ木はいつも身の周りにあったし、生活に溶け込んでいたはずである。日本人の個々人の原風景に、あるいはその片隅に、あったように思う。木には不思議な力があるような気がしてならない。