14. 月見草

 「月見草」という花がある。アカバナ科マツヨイグサ属の花だが、ロマンティックで綺麗な名前である。花の見頃は7月頃で、夕暮れに白い4弁花を開き、朝にはピンク色になりしぼんでしまう一日花である。花言葉は「無言の愛情」、「移り気」。残念ながら私はまだ見たことがない。最近ではなかなか見ることができない花のようで、同属のマツヨイグサの種を月見草ということもある。こんな月見草について、いくつか面白いエピソードがあったので拾ってみた。

 野球の野村克也が通算600本塁打を放った昭和50年(1975年)、マスコミの取材で「王や長嶋はヒマワリ。それに比べれば、私なんかは日本海の海辺に咲く月見草だ」と言ったという。当時絶大な人気を誇るONに比べ、夜にだけ咲く月見草のように、自分を日陰者のように言い、卑下した言葉だが、野村が現役時代にあそこまで成績を上げたのは、ライバルの王や長嶋の存在があったからだという意味にもとれる。含蓄のある言葉である。しかし、卑下するにしても儚く美しい花にしたのはせめてもの矜持だろうか。

 さて、太宰治の「富岳百景」に「富士には月見草がよく似合う」とある。昭和28年(1953年)富士を正面に見る天下茶屋の前方斜面に文学碑が建立され、今も多くの太宰ファンが訪れている。しかし、太宰がこの花を富士に似合うように見るには、月明りのもとで眺めるか、余程早起きをしない限り難しい。果たして酒浸りで自堕落な生活を送る太宰が見ることができただろうか。これはツキミソウではなく、通称月見草と呼ばれている黄色い花を付けたマツヨイグサのようで、しかもマツヨイグサの仲間のオオマツヨイグサのようだ。この花も月見草や他のマツヨイグサの仲間と同じように、夜、黄色い花を付けるが、マツヨイグサと違って、日中でもかなりの花が残っていている。しかし、「富士には大待宵草がよく似合う」では、語感が良くない。知っていたか知らなかったかは分からないが、ここはやはり「富士には月見草がよく似合う」になるのだろう。

 竹下夢二の「宵待草」という歌がある。「宵待草」という花はなく、「待宵草」ないしはその仲間だと思われるが、マツヨイグサ属に属する種の多くは夕刻に開花して夜の間咲き続け、翌朝には萎むことから、この花がはかなく一夜の恋を象徴するかのように描かれている。実際「待宵草」、「宵待草」の異なる2種類の表記もしている。ある時期から竹久自身が音感の美しさにこだわって変更されたという説が有力である。「宵待草」原詩は
  遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
  待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき
  想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな
である。これが現在の3行詩になり曲がつけられ今も歌い続けられている。竹下の死後、映画化の際にこの3行詩では短すぎるというので、親交のあった西條八十が2番を作った。映画主題歌として主演した高峰三枝子が歌っている。
  暮れて河原に星一つ 宵待草の花が散る 更けては風も泣くさうな
しかし、後日マツヨイグサ属の花は散らない(しぼむ)と指摘を受け、「花のつゆ」と訂正されたが、その後この2番はあまり歌われなかった。西條はマツヨイグサをよく知らなかったのかもしれない。