1.ごあいさつ

08.11.24森林公園/メタセコイヤ いままで、特段木に興味はなかった。もちろん、桜、梅、松、杉、竹、桃等一般的な木々の名前は知っていたが、「身近にあったり、よく目にしたり、たまたま子供のころから見聞きし知っていた」「花が咲いたり、実がなるのでよく知っていた」だけの木々だった。その他多くの木々は単に樹木であり、街路樹がある、あるいは、雑木林や森林があるだけの認識だった。世界遺産になった白神山系のぶなさえそこにあっても見分けはつかない。いや普段の会社生活でも、毎日見てきたが、会社の目の前にある大きな木がクスノキであることに気付いたのはつい最近であった。私はどこかに何かを忘れて来たのではないか。
 各地に点在する一本桜や、鬱蒼とした寺社の杉や檜の古木。人々はこうした木々にある種の畏敬の念さえ持ちながら、木々とともに暮らしてきた。いや木の方が圧倒的に寿命が長いので、むしろ木々が人々を見つめてきたというべきだろうか。「木の教え」(塩野米松著)には、『古来日本人が木から学び、脈々と受け継いできたさまざまな教訓、木の教えを振り返ること、それはそのまま人としての行き方を見直すことであり、未来を見る大事な視点でもあるのです』と記載されている。萌えるような若葉の春、街路樹が木陰を作る夏、目も覚めるような紅葉の秋、葉を落とし裸木姿の冬。毎年、四季折々の姿でわれわれの周りに木はあったし、人々とともに人々の生活に欠かせない存在でもあった。
 昨年、今年と秩父34札所、そして坂東33札所を歩いた。山里に木々は数十年、数百年前からそこにあった。しかし、ポケット図鑑を持ちながらほとんどの樹木の名前は分からなかった。最近地方自治体が「みどり条例」で市町村内の古い木々を保存樹として指定保護を始めた。インターネットでみると小学校で校内の樹木に名札をつける運動も盛んである。まず樹木の名前を知ることでそれぞれの木々に愛着を感じ、木々の持つ性質を知り、それを通じ樹木の四季折々の不思議な生命力を知ることに心が豊かになる想いであった。これが今回樹木の名前を知ろうとした、さらにはホームページまで開設した理由である。これが直ちに自然と人間の共生につながるものではないにしても、身近な自分の身の回りにある木々の名前を知りたいと考えている。
 参考文献によると500種類くらい知っていれば、生活圏のほとんどの木は分かるという。しかし、やってみると木々を見て名前が分かるのは簡単でないし、まだまだ樹木名が分かるのは数少ない。個人宅の木々は難しいにしても、できるだけ公共の木々には樹木札を付けて頂きたいし、特に公園や小学校の通学路には全部の樹木の名前を付けたい気分である。散策することで、急がずゆっくりと木々の名前を覚えていくつもりであるが、妻には、健康的で、ずいぶんお金の掛からない趣味だと笑われている。